なるたる
- 作者: 鬼頭莫宏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/08/19
- メディア: コミック
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最初のうちはすぐ「自己責任」論に持っていこうとするオトナたちに反感を抱いていたけれど、知れば知るほど、残酷な結論に達してしまう。たとえ自己責任ではなく社会システムの責任だとしても、現段階で貧困に陥った人たちをすべて救うのは、極めて困難だということ。
それとはあまり関係ないが、今さら鬼頭莫宏の『なるたる』にハマってしまって、再販された12巻すべてを揃えてしまった。絶版となり古書でプレミアがつき、最終巻は1万円近くの値がついていたらしい。
この作品は90年代末のエヴァやセカイ系の影響を受けて描かれたものだから、全体の雰囲気としては古めかしい箇所もある。しかし偶然にも今、社会が抱えている問題とかなりシンクロしてしまっている部分もある。
まるで現在、我々が直面している問題を暗示しているかのような部分が至るところに散在している。
「一切れのパンを
10人で分ければ
結局10人が
死んでしまう。
だから それを
手に入れる権利を
持つものは
より能力の高い
ただ一人
そうすれば
9人が死ぬだけで
すむかもしれない」
これはマンガの登場人物・須藤直角の台詞。
今の社会が志向している「格差社会」というのは、結局、共産主義的な「結果平等」ではなく、過酷な市場経済を生き抜くための「機会平等」であり、能力のない者が淘汰され、生きる意志を持ち続けた者だけが生き残るという世界である。人間にはみんな平等に生きる権利があるから、そこから脱落した人たちにも最低限の生活を保障してあげましょうというのが「結果平等」だとすると、スタートラインは平等にしてやるからそこから競争して生き残った者だけが生き、脱落した者は死ぬほか無いというのが「機会平等」。今の段階では、機会は不平等だが競争させられたあげく、脱落した者は死ぬほか無く、その脱落した人々は「生きさせろ!」と結果平等的な世界を求めてわめいているという状態。
しかし、色々本を読んでいると、最近では軽薄なベストセラーばかり連発しやがって……というイメージの森永卓郎や、その他けっこう多くの文化人が2000年の段階で今の状況を予測していたりする。そもそも、小泉内閣の「構造内閣」やら「グロバール化」というものは「結果平等」ではなく「機会平等」を目指したものだった。それに対して、庶民はよく理解もしないまま賛成票を投じてしまった。しかし、実際に状況が進行してきたら、最初から「痛みを伴う改革です」と言われていたにもかかわらず、その痛みに耐えきれずに手をひっこめてしまった。小泉のやったことは、100年や200年継続されたらおそらく日本の救世主として評価されるだろう。しかし、最初から庶民がその痛みに耐えきれないことは予想できていたはずだ。中途半端なところで改革が途絶えれば、あとは死屍累々の荒野が残されるばかり。なんともやるせない。
「権利というものは
その個人の能力に対して
与えられるものであって
等しい権利が
どんな能力の人間にも
与えられるのは
平等ではありません」
「個人は
その個人の能力によって
権利を得る
それが
平等な社会です」
「社会のせいで意欲を失った……政治で責任取ってくれ!」みたいな理論をふりかざすネットカフェ難民やニートを救う術はない。それどころか、不幸にも事故や病に倒れてしまった人々すら、救うのは困難な、非常に残酷な世の中になってしまった。セーフティネットを整えろと言うけれど、現実問題として今の日本にそれだけの財源はないし、そのわずかな財源を既得権益を持った人々が現在進行形で食いつぶしている。個人は個人で武装するしかない。だとすれば、今の段階でその余力すら失ってしまっている人たちに勝ち目はない。
約1年前、景気回復というような報道が世の中に溢れかえった時期があった。僕は漠然と、「ここで流れに乗れなかったら一生が終わる」と思った。『文化系トークラジオLife』でバブル特集が組まれたのもその頃だったと思う。あの時、気付いて良かったと思う。好景気というのは勘違いだったが、あの時点で奮い立たなければ、今の自分は存在しない。それでもまだ、将来の先行きは見えない。それでも、あのまま不毛なブログの世界に拠り所を見いだし、自分ひとりが生きて行ければそれでいいくらいのニート的な気分でこの1年を過ごしていたら、今頃あきらかに野たれ死にしていただろうと思う。
『なるたる』の再版に時代とのシンクロニティを感じるのは単なるオカルトに違いないが、『なるたる』の殺伐とした世界が今、現実のものとなりつつあるような気がしている。