犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『ワーキングプア死亡宣告』草稿4/7

 
■人間扱いされないスポット派遣
 ワーキングプア問題の中でも注目を集めやすいのが派遣労働です。特にスポット派遣は、その過酷な労働条件が国会で議論されるほどの社会問題になりました。
 スポット派遣とは、仕事のある時にだけ、電話やメールで集合時間や場所の連絡が入る一日単位の労働スタイルで、日雇い派遣とも呼ばれています。
 仕事内容は主に単純作業が多く、派遣先も毎回違うため、どんな仕事がまわってくるかは行ってみなければわかりません。工場や荷物運び、イベントスタッフなど様々ですが、はじめての現場で不慣れな作業を行うことになるため、労働災害につながる事故も数多く発生しています。荷さばきの作業中に1トンもの荷崩れに巻き込まれて大けがをしたり、半日ほど冷凍倉庫に閉じこめられて両手が凍傷になってしまったという例もあります。アスベストの舞う中、コンビニで買ったマスクだけで解体作業をさせられたという酷い話もあります。
 しかし派遣先の企業にとってスポット派遣というのは都合の良い「使い捨て」なのです。どうせ翌日には別の人間が派遣されてきます。ケガをしようが病気になろうが関係ありません。現場ではまともに口もきいてもらえず、名前ではなく「派遣さん」や登録番号で呼ばれ、まるで人間扱いされません。
 派遣先でネームタグを貰い「はい、今日からあなたは田中さんね」と言われた例もあります。名前を奪われ、人間の方がネームタグに合わせるという本末転倒な状況です。
 そこまで酷い労働環境にもかかわらず、日給はおよそ6000〜7000円程度。交通費は出ません。軍手などの必要な装備品はすべて自腹。遅刻すればペナルティとして大幅に減給されます。しかも毎日仕事があるとは限らないので、平均すると月に働けるのは平均18日程度。月収は13〜15万円という不安定な暮らしをしています。
 仕事がまわって来なかったり、ケガや病気にかかればすぐに生活は破綻してしまいます。しかも派遣会社との関係も重要で、一度でも仕事をキャンセルすれば声が掛かりにくくなるという恐怖感があるため、ちょっと具合が悪いくらいで休むこともできず、その結果、風邪をこじらせてしまうこともあります。しかも休めば一日分の給料が入りません。保険に加入していなければ、医療費の負担は大きくなります。このような雇用の不安定さが、ネットカフェ難民やホームレスを増加させる要因になっています。
 さらに問題となったのは、グッドウィルフルキャストといった大手派遣会社が「データ装備費」として安い日給の中からさらに使途不明の金額がピンハネしていたことでした。その他にも、派遣会社が他の派遣会社に労働者を紹介して中間マージンを取る二重派遣や、禁止されている建設現場や港湾労働などの危険業務にスタッフを派遣するなど、多くの問題が明らかとなり、グッドウィルフルキャストは立て続けに厚生労働省から事業停止命令を受けました。
 
■見捨てられた就職氷河期世代
  景気が回復したとはいえ正社員の採用は減り、就職活動をしても正社員になることが非常に難しくなっています。「人手不足」だの「売り手市場」だのと言われても、それは大学を卒業したばかりの新卒に限定された話です。
 バブルが崩壊した直後の1992年から景気が回復したと言われる2002年までの間に学校を卒業して社会へ出た若者たちは就職氷河期世代と呼ばれ、過酷な就職難に見舞われました。就職活動で100社受けても、全て落とされるなんてことが当たり前の時代でした。
 一方で最近、大学生の新卒採用が増えているのは、そんな就職氷河期の反動です。
 バブル崩壊後、多くの企業は景気の悪化とともに経営難に陥ります。昔ながらの「年功序列」や「終身雇用」という雇用体制が崩れ、リストラという言葉が世間に知れ渡ったのも、この頃でしょう。
 テレビでは、妻子のあるお父さんたちが窓際の席に追いやられ、仕事もあたえられずあからさまなイジメに遭い、自主退職に追いやられるというような再現ドラマがよく放映されていました。
 しかし、実際には中高年の雇用を守るために「目に見えないリストラ」が進行していたのです。定年やその他の理由で退職していった人のあとに、新しい人材を雇わないというやり方です。抜けた人材を補わないことにより、自然と社員の数を減らしたわけです。
 リストラによって退職を余儀なくされたり、病気などのやむを得ない理由、結婚や妊娠で一度退職した女性たちが再就職しようにも、募集人員そのものが少なく、就職氷河期にちょうど卒業を迎えた世代は最初から就職できませんでした。結果的にフリーターや無職のニートが大量生産されました。派遣という働き方も、そのひとつです。
 政府はこのような状況を「労働の多様化」と呼んでいます。むしろ「様々な働き方ができるようになって良かったじゃないか」というわけです。そして「お金よりも自由な時間を求めている若者が増えている」などと、あたかも非正規労働の人々が自ら進んでその道を選んだかのように語ります。
 そんなイメージ戦略が「フリーターは怠けている」「最近の若者は根性がない」「ワーキングプアに陥る人間にはそもそも意欲が足りない」という偏見を助長しました。
 しかし統計によると非正規労働者の7割以上が「正社員になりたい」と願っており、正社員の採用枠が少ないために仕方なくアルバイトや派遣といった不安定な仕事に就かざるを得ないという実情があります。しかも非正規雇用の多くがサービス業や単純労働なため、技術が蓄積されることもなく、日々の暮らしに精一杯で手に職もつかず歳をとってゆきます。
 
■若者を使い捨てにする35歳定年説
 そんな中、2007年には労働者人口の中でもかなりの割合を占める「団塊の世代」がちょうど定年退職の時期を迎えました。今後、次々と大量の人材が職場から去り、深刻な人手不足に悩まされることになるでしょう。
 高給取りが減ったことで企業の中での人件費は大幅に削減できる反面、第一線で重要な仕事をこなしていた中高年がいなくなってしまいます。そのため、仕事の上で必要な技術をうまく引き継ぐことができないなど、労働の空洞化が問題になっています。
 そこで新卒の売り手市場となったわけです。どうせはじめからスキルが無いのなら、年寄りやフリーターよりも、若い新卒が選ばれるのは当然です。たまたま社会に出る時期が就職氷河期にあたってしまったため、企業から見捨てられた世代は、ここでも切り捨てられようとしています。
 しかも、今回の「売り手市場」はバブルの頃のように若ければ持てはやされるというようなものではありません。企業の要求するレベルは高くなり、意欲的で人間関係のコミュニケーション能力にも優れ、入社前からある水準以上の能力を身につけていることが条件となっています。
 もはや終身雇用の時代のように、企業が若者をゼロから育て上げるというような余裕は微塵もありません。だから企業に求められるような人材には多くの企業から内定が集まり、逆に一社からも内定が貰えないという新卒もいて、同世代の間でも個人差が激しくなりました。
 結局、ごく一部のエリートのみが求められ時代となり、その他大勢は競争のスタートラインにすら立てないのです。しかも、常に「若さ」という絶対条件が必要なため、就職した後も年をとってからどうなるかわからないという不透明な時代に突入しつつあります。
 このような若者を使い捨てにする傾向は、次第に高まっています。最近では派遣社員の間で「35歳定年説」というものが囁かれています。35歳を越えると、派遣登録していても、仕事を紹介してもらえなくなるというのです。
 終身雇用が崩れ、誰もが職を転々とする時代になれば、このような事態になることは当たり前です。世の中、年を取っても必要とされる技術など、なかなかありません。機械によるオートメーション化が進めば、人間のスキルはそれほど必要とされなくなります。よほど特殊で高度な技術を持っていない限り、年寄りと若者を比べれば若者を採用したくなるのが普通です。これは派遣社員に限った話ではありません。
 
■教育格差が階級を固定する
 少子化ゆとり教育によって、フリーパスで入れる大学なども登場し「大学全入時代」などと言われる一方、成果主義の導入で、ますます学歴が重視されるようになっています。一流の大学を出なければ就職は困難な状況で、就職できなければフリーターか派遣労働など不利な労働条件で働くしかありません。
 実際には年収300万円程度の家庭にとって、子供の大学卒業までにかかる費用を負担するのは困難です。
 大学卒業までの養育費と学費を合わせた金額は、すべて公立で済ませても平均3000万円と言われています。これが幼稚園から大学まで私立に通わせれば4000万円。医学部を目指せば6000万円となります。しかも一流大学ほど塾や家庭教師など、学校外での教育費もかかります。
 東大は国立なので、努力さえすれば貧乏人でも入学できると信じられていますが、実のところ合格者の親の大半は年収1000万円以上で、子供たちは幼い頃から徹底的な英才教育を受けています。
 つまり、親の年収がそのまま学力に反映されるのです。
 これが「教育格差」であり、子供の将来を決定づける最大の要因となっています。
 中卒ならば500万円、高卒ならば750万円程度の養育費で済むため、親の収入が少ないほど学歴は低くなり、就職は困難になります。
 学歴が必要ならば、奨学金制度を利用すればいいという意見もあるでしょう。しかし現在、奨学金制度は「民間の業務やサービスに代替えできるものは、財政赤字削減のために廃止する」という構造改革の流れを受けて、廃止の方向で検討されています。しかも、その奨学金に代わる民間サービスというのは銀行や消費者金融の教育ローンであり、中には教育ローンとは名ばかりの単なる高利貸しも紛れているため、貧乏な学生は社会に出る前に借金漬けにされてしまう危険すらあるのです。
 今の学歴社会は一見すると、貧富の差や社会的な階級ではなく、能力の高い者だけが出世する実力主義に見えます。しかし実際には、本人の能力以上に親の年収によってその後の人生が決まってしまうという、目には見えにくい隠れた階級社会なのです。ここにも富裕層が自分自身の恵まれた境遇を正当化するための言い訳が潜んでいます。

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