犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

【ネタバレ注意】エヴァンゲリオンの「レイヤー」構造

※物語全体のネタバレを含みます

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で完結したエヴァンゲリオンという物語。
思わせぶりな謎と伏線ばかりで回収できずに終わり、結局は「すべて投げっぱなし」、 デイヴィッド・リンチ作品のように謎解きという過程を楽しむ作品なのだと解釈している人もたまに見かける。

でも、あえて語られていなかったり、解釈の余地が残されている部分はあったとしても、実はたいていの謎には答えがあって、たいていの謎には答えが用意されていたりする。

しかし人によって「見え方/とらえ方」が極端に変わってしまうのは、そのレイヤー構造のせいだろう。
「レイヤー」とは英語で「階層」という意味。
Adobe Illustrator」や「Adobe Photoshop」などの画像処理ソフトを使っている人にはおなじみの概念だろう。

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そしてジブリが制作したCHAGE&ASKAのプロモーション・フィルム『On Your Mark』を、岡田斗司夫が考察したのと同じ手法で読み解くなら、こんな感じになる。



◆第1レイヤー: フィクション
◆第2レイヤー: メタ・フィクション
◆第3レイヤー: ノンフィクション

 

ひとつずつ解説すると…
  


◆第1レイヤー: フィクション

ごく普通に「空想の物語」として解釈する視点。
たいていの物語はこの視点で楽めるように作られている。

エヴァンゲリオンにおける「謎」は難解だが、たいてい決着がついている。
テレビシリーズや劇場版などの映像作品だけで解釈するのは難しいが、漫画版ではわりとわかりやすく解説されている。

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新世紀エヴァンゲリオン⑫』より引用(漫画:貞本義行 原作:カラー・GAINAX

 たとえば「シト」の正体だが、漫画版では画像1枚でこれでもかというくらいわかりやすく解説されている。
もともと、地球の地底奥深くに住み着いていたのはシトだった。
しかし衛星に乗って宇宙から飛来した人類の遺伝子が文明を築き、地球の表面を乗っ取ってしまう。
つまりシトにしてみれば人類の方が「侵略者」なのだ。
あるいは地球をガイア仮説のごとく「人体」に例えるなら、人類は外界からもたらされたウイルスのような存在で、シトとは自然治癒力あるいはワクチンのようなものという解釈もできる。
(ちなみに映像作品では人類もシトも宇宙から飛来して地球にたどり着いたが、シトの方が一歩先にたどり着いたという設定になっている)

また人類補完計画は、人類が滅びて肉体を失うことによって、心は他者との境界線を失い、平和な世界を作ろうというていどのシンプルな計画である。
だが、この人類補完計画という存在こそ、エヴァンゲリオンの劇中では次なるレイヤーに移行するカギとなっている。
  


 ◆第2レイヤー: メタ・フィクション

メタフィクションとは「空想」と「現実」の境界線が曖昧になった物語とでもいおうか。
フィクションの中で現実世界の読者や視聴者に語りかけたり、フィクションの中でその物語について批評や言及してみたりする手法である。
眠りながら夢の中で「これは夢だ」とわかっている明晰夢のようなものと言えばわかりやすいだろうか。

テレビシリーズの終盤で、原画にシンジたちの独白が添えられたり、登場人物たちが映画のセットを思わせるハリボテの中に映し出されたりする場面、あるいは旧劇場版のラストで映画館の客席が実写で映し出されて、観客が自分自身の鏡像を見せつけられる場面なんかがこれにあたる。

1997年に出版された大泉実成・編『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』によるとテレビシリーズを制作中に19話でスケジュールが行き詰ることがわかっていたので、当初の結末ではなく既存の素材を組み合わせて間に合わせようとした過程が語られている。

エヴァンゲリオンとは庵野秀明監督によるオタク批判であったり、新しい創作技法の模索であるかのような解釈をされがちなのは、このレイヤーによるところが大きい。
  


 ◆第3レイヤー: ノンフィクション

エヴァンゲリオンとは壮大な庵野秀明の「私小説」であるという視点がこのレイヤー。
監督自身の女性遍歴や、大学時代の仲間と立ち上げたGAINAXのその後やカラーの立ち上げなど、リアルな実生活が反映されているのではないかという解釈。

旧劇場版ではメタ・フィクションの陰に隠れてそれほど明らかではなかったが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では綾波レイが「カブ(株)」を洗っているのは安野モヨコが株式会社カラー10周年を記念して描いた『おおきなカブ(株)』のメタファーだろうし、ラストの宇部新川駅庵野秀明の出身地である。


実はこれについては竹熊健太郎・編『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』の中で、すでに語られている。

庵野 人間ドラマなんて、そうそうやれるもんじゃないですよ。だって、全然わからない他人を描くってことじゃないですか。(中略)まあそれで僕は、結局、アタマの中で考えてもできないんで、しかたなく自分をドラマにそのまま投影している。だから、なんか人間ドラマっぽい感じがするだけで。

 

竹熊 ああ、庵野さんが「『エヴァ』のキャラは全部自分自身だ」という意味はそれですね。

 

庵野 ノンフィクションですよね。自分が今やってるのは。これをフィクションでやれっていうのは、とても無理ですよ。(中略)まあ、『エヴァ』は実はドラマというより、ドキュメンタリーに近いですね。

 

このように様々なレイヤーによって多彩な解釈を許された作品だからこそ、25年間愛され続け、これからも様々な憶測を呼んで語り継がれる作品になってゆくのだろう。