犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 3/7

 
■市場原理が「良い品を安く」する
 市場経済において、モノの価格は「需要と供給」で決まります。
 つまり、それを欲しがっている人と、それを売りたがっている人のバランスです。
 例えば市場原理によって野菜に値段をつけるとします。この場合、農家がどれだけ苦労して栽培したかというのは、ほとんど関係がありません。どんなにおいしいニンジンでも、買いたいという人がいなければ安くなってしまいます。逆に、どんなにマズくても買いたいという人がたくさんいて品切れ状態になれば高くなります。
 努力やかかった費用とは関係なく、お客さんが買ってくれる値段が適正価格になるのです。その商品を作るのに100円のコストが掛かったとしても、お客さんが「90円でなければ買わない」と言ったら、たとえ赤字でも90円で売るしかありません。それが市場原理です。
 しかし市場原理による競争が100%悪いわけではりません。我々はすでに、充分その恩恵を受けています。
 例えば、競争原理が働くと安くないと売れないので、商品の値段が下がります。かといって品質を落とすわけにもいかないので、消費者としては「良い品を安く」買うことができるようになるのです。
 また、商品の値段を下げるためには、グローバリゼーションによる海外の安い労働力が一躍買っています。安くておいしい冷凍食品が食べられるのも、クオリティの高いフィギュアや食玩を安い値段で手に入れられるのも、実は人件費の安い海外の工場で大量生産されているからなのです。
 実は、「良い品を安く」手に入れられるという事と、我々の労働賃金が下がって生活が不安定になってゆく事は、無関係ではなく密接につながっているのです。
 しかもこの市場原理という考え方は、正社員の年俸制などが採用されつつある昨今の「成果主義」ともつながっています。どんなに努力をしても、売り上げや生産性などの結果を出さなければ意味がないという考え方は、市場原理と似ています。
 仕事の量が増えても収入が減るばかりだと嘆く人々の不満の裏側には、このような社会全体の価値観の変化があります。
 
■大企業にばかり有利な規制緩和
バブル崩壊から、ずっと不況だと言われ続けてきた日本では景気回復の名のもとに、企業によるリストラ解除や「派遣労働法」の改正をはじめとする様々な規制緩和が進められてきました。
 市場原理では自由競争が最も重要だとされています。
 国の定めた法律や規制は競争の邪魔になるという理由から、大手企業は法律の改正を要求してきました。これまでの規制をゆるめて自由な競争が出来るようにすれば、経済はもっと活性化するというのです。
 特に有力企業のトップが多く加盟している日本経団連の影響力は強く、自民党をはじめ各党に対する政治献金によって政治を裏で操っています。
 事実、多くの政治家が経団連の要求を無視することができません。これまで不況によって経営の悪化した企業に救いの手をさしのべるという名目で、経団連の要求通りに法律の改正を繰り返してきました。小泉内閣が推し進めてきた郵政民営化や派遣労働を許可する労働派遣法などがその例です。
 確かに世界中の企業を相手に競争を繰り広げなければならなくなった今、誰もが国際競争力の必要性は感じています。しかし実際に行われてきた法律や制度の改正を見ると、発言力の大きい一部の大企業が自分たちの利益ばかりを優先して、都合のいいように法律をねじ曲げているようにしか見えません。
 
■もともと禁止されていた派遣労働
 ワーキングプア増加の要因になっていると言われている派遣労働法の規制緩和も、完全に企業の都合によって生まれたものです。
 派遣労働というスタイルは、もともと法律によって厳しく禁じられていました。なぜなら、企業に人材を提供することで賃金をピンハネする業者が現れることは、最初から予想できる事だったからです。
 しかし、ソフト開発など専門性の高い職種が増えるにつれ、企業側がスキルの高い人材を急に必要とする場面が増えてきました。そんな時、募集をかけてもなかなか人員が集まらず、ゼロから育てるのも難しいという状況で、専門性の高い職種に関しては人材派遣を認めるという「労働派遣法」が1985年に制定されたのです。
 この時点では、派遣できる職種は非常に限られていました。しかしその後、企業側の要望でどんどん規制緩和が進み、現在では危険業務として禁止されている建設や港湾労働を除くほとんどの職種で派遣が認められるようになりました。工場での単純作業や、ファミリーレストランのウェイターなど、本来ならばアルバイトを雇うべきサービス業にまで派遣労働が利用されています。
 
 派遣の規制緩和が進んだ背景には、バブル崩壊後の不況が強く影響しています。政府は経営の苦しくなった企業を救うため、緊急避難的に派遣を認めたのです。
 だから法律では、派遣労働はあくまでも「臨時的・一時的なものであり、常用雇用の代替えにしてはならない」と定められています。つまり、正社員を雇うよりも安いからといって、人件費削減のためだけに派遣労働を利用することを禁じているのです。
 しかし、実際には全く守られていません。
 典型的な例としては、現在も過去最高の利益をあげ続けているキヤノンでしょう。キヤノンの生産工場は3分の2が派遣社員であり、景気が回復して業績が上昇し続けているにも関わらず、今後も派遣社員を増やしてゆくという方針を固めています。つまり不況や経営難を打開するためというよりも、ただ単純に自社の利益を増やすためだけに安い労働力として派遣社員を利用しているのです。
 ちなみにキヤノンの会長である御手洗冨士夫氏は、同時に経団連の会長でもあり、政治的にも強い影響力を持っていることは有名です。そしてさらなる労働派遣法の改正を提案し、今以上に企業がもっと労働者を使い捨てにできるような規制緩和を要求しています。キヤノンのやっていることは明らかに違法ですが、経済的・政治的な圧力を加えることによって法律を変え、自分たちのやっていることを合法化しようとしているのです。
 キヤノンに限らず、実際には儲かっているのにわざと赤字を計上し、「不況だから」と言い訳をして節税やリストラに成功する企業も少なくありませんでした。むしろ正社員の非正規雇用への切り替えは、景気が回復したと宣言された2002年以降も増え続けているのです。これはただ単に企業が利益を増大するためだけに、人権を無視したコストの削減を繰り返していることを意味します。
 
 また、株主優先の経営がリストラを助長しているという声もあります。リストラを発表すると、利益の増大を見越して、その企業の株価が一時的に上がるのです。これによって株主と、自社株を所有している一部の経営陣にだけ大きな利益があるのです。
 しかし長期的に見ればリストラが決して企業のためにならないことは立証されています。希望退職者への退職金などを計算すると、会社の利益は思ったほど増えません。また、会社に残った人間の負担も大きくなるので意欲が失われ、生産性が落ちるのです。さらに失業者が増えれば消費に影響が出て、まわりまわって市場全体の売り上げが落ちます。つまり得をするのは一部の人間だけで、リストラは企業としても社会全体としてもマイナスなのです。
 
■大企業と金持ちばかりが得をする
 このように、発言力のある大企業ばかりが優遇される法律の改正が数多く存在します。
 たとえば長引く不況を乗り切るため、法人税(企業が国に納める税金)は低く抑えられてきました。しかし景気が回復して、企業の売り上げも順調に伸びつつある現在も法人税は低いままです。さらに経団連法人税の今以上の引き下げと、それに代わる政府の収入源として消費税の税率アップを提言しています。
 ここでも「企業の国際競争力を高めるため」という言い訳が登場します。政府としてはあまり規制や圧力をかけてしまうと、有力企業が国外に逃げ出してしまうのではないかという不安もあります。グローバル社会では、資産を海外に移して税金を逃れるという方法が、金持ちや企業にとっては当たり前の戦略となっているからです。実際、シンガポールやドバイなど、法人税所得税をゼロにして企業や高所得者を優遇することによって発展している国があり、日本企業のそういった国々への進出が活発になっています。
 しかも経団連ばかりでなく、財政赤字を削減したい政府としても、税収を増やすための消費税アップには乗り気です。名目上は社会福祉や保障を充実させるための消費税アップということになっていますが、むしろその負担は国民にのしかかってきます。消費税は貧富の差に関係なく、みんな一定の税率が掛けられます。例えば現在の消費税率は5%ですが、年収が1億円の金持ちにとっての500万円と、年収100万円の人にとっての5万円は、同じ5%でも負担がまったく違ってきます。
 消費税が必ずしも悪いということはありません。たしかにスウェーデンフィンランドなど、北欧の福祉国家では医療費が無料になる代わりに消費税率は20%を越えます。社会保障セーフティネットを充実させるためには、増税もやむを得ないのです。しかし今のまま、行政のムダ遣いを減らさずに増税することはドブに大金を捨てるのとまったく同じで、国民にメリットはありません。
 本来、小泉構造改革は、こうした社会の歪みを正すためのものだったはずですが、実際には<痛み>をわかちあうことのできなかった行政・企業・国民というそれぞれの利害に反したため、失敗に終わりました。そして結局は力の強い者だけが得をするような、さらに歪んだ社会構造を生み出してしまったのです。
 
■大企業による独占が、中小企業を皆殺しにする
 さらに大企業を優遇し、中小企業をおびやかす法律の改正もあります。
 それが「独占禁止法の第九条」です。
 これは純粋持ち株会社の設立を禁止した法律で、つまり親会社が子会社の株式をすべて買い占めて実権をにぎることを禁じた法律です。しかしそれが、一連の規制緩和の流れに便乗して解禁されてしまったのです。
 どういうことかと言うと、巨大な企業グループがある業界でトップに立とうと狙いを定めた時、大企業がバックについていれば、子会社は赤字覚悟の低価格で商品を販売することができます。そんなことをされれば、利益を出さなければ経営が成り立たないライバル企業に勝ち目はありません。そうやってライバル企業を業界から撤退させれば、大企業による独占常態が生まれてしまいます。
 これでは中小企業などはじめから太刀打ちできず、市場に入り込む隙すらなくなってしまいます。一企業の独占を許せば、経営難から倒産する企業も現れるでしょう。そうなれば結果として雇用が奪われ、多くの人たちが路頭に迷います。
 こんな状態では、真面目に商売しようとしても上手くいくはずがありません。
 もともと独占禁止法というのは独占を禁じる法律なのに、むしろ大企業に独占を許してしまうという正当性を与えてしまったのです。
 大企業を優遇した規制緩和が、労働者ばかりでなく中小企業の経営者までも苦しめています。つまり政府は企業の競争力を高めると言いながら、政治への発言権が強い大企業ばかり優遇するような法改正を繰り返し、その他の企業を見殺しにしているのです。
 
■巨大ショッピングモールが地元商店街が壊滅させる
 スーパーマーケットなどの大型店が相次いで登場した昭和40年代、「大規模小売店舗立地法」が制定されました。これは駅前などの中心市街には、あまりに大きなスーパーなどの出店を規制して、地域の暮らしと密着した商店街や個人経営のお店を守る法律です。
 しかしこの法律に対してアメリカは、外資系の巨大ショッピングモールの日本進出を妨害するものだとして批判しました。つまり、市場原理による自由競争を阻害しているというのです。
 スーパーやジャスコなどの巨大ショッピングモールが便利なのは事実です。この競争社会で、経営努力の足りない商店街や個人商店が潰れていくのは自己責任であり、むしろ小規模の店舗を優遇する方が不公平であるという声すらあがっています。しかし本来この法律は独占禁止法と同じく、ひとつの大型店が周辺地域でのシェアを独占することによって、人々の生活が破壊されてしまう危険性を予測して定められたという背景があります。
 現在では規制緩和が進み、駅前や郊外に次々と大型ショッピングモールが出店し、昔ながらの商店街や個人商店からは人影が途絶えつつあります。しかし一方で、大型ショッピングモールが過疎化した地域に活力をもたらし、新しい雇用も生み出すということで歓迎する自治体も少なくありません。
 結果、郊外のロードサイドにはショッピングモールを中心にファミリーレストランやファーストフード、パチンコ店、消費者金融などが立ち並ぶ独特の風景があらわれたのです。
 たしかに大手ショッピングモールは戦略的にその地域で最も高い時給を支払ってアルバイトを集めるので、仕事の少ない地方に暮らす人々にとっては非常に喜ばしい存在でした。そうなれば当然、仕事も生活も依存することになります。
 安く便利でクオリティの高いサービスを提供するチェーン店が個人経営の商店に勝つのは競争原理として当然です。消費者が便利さを選ぶのも仕方がありません。しかし、こうした営利目的のチェーン店は、利益が出ないと判断すれば撤退してゆきます。チェーン店の寿命は7〜8年といわれており、ひとつの地域に根を下ろして営業を続ける店舗はほとんどありません。
 次々と新しい店舗に入れ替わればまだましで、過疎化の進んだ地域はチェーン店にすら見捨てられてゆきます。地方をドライブしていると、廃墟と化したファミレスや商業施設が実に多いことに気づくでしょう。
 もしも地域の人々にとって生活の中心となっていた大型ショッピングモールが閉店してしまえば、その後の経済的な打撃は計り知れません。地元商店街が潰れた後では、以前の生活に戻ることすら難しくなります。さらにショッピングモールで働いていた人々は同時に職を失うことにもなるのです。
 
アメリカの喰いモノにされる日本
 もともと規制緩和の波は、アメリカからやってきました。
毎年、日本とアメリカの間で交わされる「年次改革要望書」というものがあります。実はこの中に郵政民営化をはじめ、あらゆる規制緩和の要望が含まれていたのです。それらはすべて、アメリカ企業が日本に進出しやすくするためのものでした。
 これまでに登場した独占禁止法改正、大規模小売店舗法廃止、労働者派遣法の改正なども、この文書の指示にしたがったものだったのです。他にも健康保険の本人3割負担など、我々の生活に影響するような重要な内容も含まれています。
 日本政府はこれまで、数々の法案を自分たちが定めてきたかのように振る舞ってきました。しかし、それらはアメリカ側の要求を強く意識したもので、国益よりもアメリカ企業の利益を優先したものが余りに多かったことが最近になって明らかになってきました。
 小泉内閣が進めてきた郵政民営化や健康保険の負担率の上昇は、アメリカの保険会社が日本へ進出しやすくするためのものでした。例えば病気になった時、患者の自己負担率が増えれば公的な保険だけではカバーできなくなり、民間の保険に頼らざるをえなくなるのです。
 すでにアメリカでは民間保険会社への依存度が高くなり、民間の保険に加入できない貧困層は費用を心配するあまりよっぽどの重症でなければ病院に行くことができません。そのため、医療費を払えずに自己破産する例が、クレジットカード破産に次いで多いと言います。
 つまり、貧乏人は体を壊せばそのまま身の破滅につながるのです。
日本もこのまま、アメリカの後追いで法改正を繰り返してゆけば、遅かれ早かれ同じ道を歩むことになるでしょう。
 
 もともとアメリカでは企業が強大な力を持ち、政治を動かして自分たちに都合の良い法律を作り上げてきました。日本の経団連が政治献金によって強い影響力を持ってきたのも、こうしたアメリカ企業のやり方と全く同じなのです。
 しかもアメリカではこうした企業優位の政治がいかに社会を歪ませているか、すでに日本以上に激しい格差や、ワーキングプア問題などで実証されています。

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