『ワーキングプア死亡宣告』草稿 2/7
■小泉構造改革の正体
最近になってようやく「小泉構造改革」のもたらしたものが何だったのか、明らかになってきました。日本にアメリカゆずりの市場原理を導入し、規制緩和を繰り返すことで国民の生活は破壊されてしまったのです。
そもそも構造改革は、赤字財政を生み出すような歪んだ社会構造を破壊するために提案されたものでした。そして小泉純一郎は当初から「改革には痛みをともなう」と明言していました。しかし多くの国民はこの<痛み>が自分たちに向けられた言葉ではないと思っていました。そしてお祭り騒ぎのような雰囲気に流されて、小泉内閣を支持したのです。
みんな、構造改革によって破壊されるのは庶民の生活ではなく、金持ち連中の既得権益だとばかり思っていました。ところが実際には、財政赤字を増やしながら発展してゆくという、無理のある社会構造の恩恵を受けていたのは、ごく一部の政治家や企業家などのエリートばかりではなく、実は我われ国民ひとりひとりだったのです。
しかし「一億層中流」というそれまでの暮らしを信じて疑うことのなかった国民にとって、構造改革が突きつけてきた<痛み>は耐え難いものでした。結果、暮らしが不自由になり、財政赤字も減らないという今のような中途半端な状況になってしまったのです。
■景気が良くなっても生活は悪化する
いくら働いても賃金は上がらず、生活が苦しくなっていくのは、景気が悪いからなのでしょうか?
街頭で道ゆく人の声に耳を傾けてみても、景気の悪い話ばかりが聞こえてきます。実際に「年々、仕事は忙しくなっているのに、給料は下がり続けている」という世帯は、増加しています。
しかし一方で「いざなぎ景気以来の景気回復」とも言われていて、これは高度経済成長期や80年代から90年代にかけて起きたバブル経済と並ぶほど、長期的に景気が上昇し続けているということなのです。
ならばなおさら、なぜみんな景気の回復を実感できないのでしょう?
それはつまり、どんなに景気が上昇しても、もはや国民の生活には反映されなくなっているという事を意味しているのです。今までは「景気さえ良くなれば、暮らしも良くなる」と誰もが思ってきました。しかし、これからは違います。実は国民の生活は、景気が良くなろうと悪くなろうと、無関係に悪化してゆくのです。
■グローバリゼーションが、あなたの時給を安くする
景気がどんなに回復しようと、国民の生活が改善されない要因のひとつは、グローバリゼーションにあります。
グローバルというのは、日本語訳すれば「地球」です。グロバール化、グローバリゼーション、グローバリズム、グローバル・スタンダードなど、さまざまな類似語がありますが、大雑把に言えば地球をひとつの共同体と見なして、みんなが国境を超えてひとつにまとまるという意味です。
こう説明すると、なんだか博愛主義のような素晴らしい思想に聞こえますが、実際には平和や人類愛とは大違いで、経済用語としては<人・金・物>が自由に国境を超えて流れることを意味します。
つまり、企業にとっては地球全体が巨大なマーケットであり、日本国内だけでなく、海外の企業とも競争しなければ生き残っていけない時代なのです。逆に言えば世界を股に掛ける大企業にとって、これは大きなチャンスです。自社製品を世界中の人に売ることが出来るうえに、日本よりも安い賃金で発展途上国の人々を雇うことができるのです。
しかし、そうなると今度はこれまで日本国内に工場を持っていた企業が海外に工場を移転してしまいます。日本国内での仕事が減り、海外の安い労働力にそれを奪われてしまうわけです。
例えば中国の人件費は日本の30分の1とも言われています。かつて海外の工場に回されるような労働は単純なものばかりでした。しかし日本の優れた技術力によって開発された機械を海外に持っていくことにより、誰にでも高品質の製品をを作ることができるようになりました。
しかも最近ではコンピューターのプログラム開発など、ホワイトカラーの仕事も中国やインドの優秀な人材に奪われてしまい、英語のあまり得意でない日本人はますます不利な状況になってきています。
そうなると、海外の安い賃金で働く人々をライバルに競争しなければならないので、日本人の賃金は低くなり、失業率も高まる一方というわけです。
■グローバリゼーションは人間を幸福にしない
当初、「グローバリゼーションは世界中から貧困をなくす」と言われていました。
たしかに中国や発展途上国で貧困に苦しんできた人々は、海外から引き受ける仕事によって賃金が上がり生活も豊かになりつつあります。
考えようによっては、アメリカや日本などの先進諸国は今まで、他の発展途上国よりも恵まれすぎていたのです。
かつて戦後の日本が奇跡的な経済成長を遂げたのは「優秀な人材を低コストで雇える」という背景があったからでした。ちょうど今の中国は、かつての日本のように経済成長を遂げている時期なのです。逆に「一億総中流」と言われた日本は、自分たちよりも安く働く発展途上国の人々に仕事を奪われ、収入が減りつつあります。
しかし、これは貧困化ではなく、平等化なのだという見方もできます。これまで日本に生まれるということが、それだけで幸運でした。世界的に見ればバブルの頃まで、日本人であるというだけで特権階級だったのです。
これからは日本やアメリカなど、恵まれていた国々の富が発展途上国の貧しかった人々に流れ、同じような労働ならば賃金は世界中でほぼ同額になります。それによって世界中の人々が平等に暮らせるようになるのならば、それは本当の意味で平和な世界の訪れかも知れません。
しかし、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツは「グローバリゼーションは人間を幸福にしない」と言っています。
たとえば現在、中国はどんどん経済的に発展し、平均賃金が上がってきています。しかし、中国人の賃金が上がってくると、今度はもっと賃金の安い国に仕事が奪われてしまいます。企業は利益をあげることを第一の目的としているので、従業員の生活保障など関係ありません。
中国でも日本の派遣労働に近いような低賃金の働かせ方が問題となり、2008年から「新労働契約法」という労働者を保護する法律が実施されました。最低賃金を引き上げ、契約期間も延ばし、3年以上同じ職場で働き続けたら正社員として採用しなければならないという義務を企業に課したのです。
しかしこの法律は労働者を保護するどころか、逆に苦しめました。法律の改正によって労働者の賃金が上がってしまうことを恐れた企業は、法律が施行される直前に大量のリストラを行ったのです。また、中国に工場を持っていた日本の企業も、ベトナムなどもっと人件費の安い国へと工場を移転してしまいました。
世界中に広まった市場原理による競争とグローバリゼーションの波は、企業に極限まで生産コストの削減を要求します。そしてそのしわ寄せは労働者に負わされるという最悪の事態を生みました。
労働者は常に最低賃金でこき使われ、不要となれば捨てられるのです。
利益は決して労働者に還元されません。儲かるのは世界を股に掛ける大企業の経営陣と、それらの企業に巨額の投資をする資本家だけだったのです。
■新自由主義による人間狩りがはじまる
今、グローバリゼーションと共に世界を巻き込もうとしている新自由主義というのは、みんなが市場原理に基づいて自由に競争してゆけば、経済はどんどん発達して、みんなが平等に幸せになれるという考え方です。
しかし現実には、この弱肉強食を助長する競争が、我々の生活を脅かしています。
競争というのはトップ以外はすべて敗者という世界です。敗者は自信を喪失し、競争から取り残されて無気力になってしまいます。
実際、富裕層と貧困層の格差は広がりつつあります。どんなに努力をしようとも埋めることのできない差ができてしまえば、人はその瞬間に立ち止まってしまうでしょう。
かつて小泉純一郎は内閣総理大臣時代に「格差が悪いとは思わない」と発言しました。
たしかに格差そのものが悪いわけではありません。頑張った人と怠けた人と、どちらも報酬が同じでは、むしろ頑張った人にとって不平等になります。どうせやってもやらなくても結果が同じなら、すべての人たちが怠けてしまうでしょう。
しかし、現在問題になっている格差というのは、どれだけ努力したかによる差ではありません。生まれた家庭の資産によって格差どころか階級が決まってしまうのです。 つまり、金持ちの家に生まれたら金持ちに。貧乏人の家に生まれたら貧乏人になるしかない、格差の固定された社会になりつつあることが問題なのです。
正しい格差というものがあるのなら、それは誰もが平等なスタートラインに立ち、努力した結果として裕福になることのできる状況をいうはずです。しかし実際には小泉純一郎のような世襲3世の政治家が、自分たちの恵まれた境遇を正当化するためだけに、「格差は正しい」と言い訳するのです。
- 作者: 巨椋修,犬山秋彦,山口敏太郎
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