犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 5/7

 
社畜サラリーマンの絶望的な未来
 フリーターや派遣労働を続ける限り、将来への見通しはつきにくい時代になっています。しかし、だからといってすでに正社員として働いている人たちは安心なのかといえば、決してそんなことはありません。
 企業が利益を増大するために正社員を減らしたり、バイトや派遣労働などに切り替えているため、会社に残った人たちの負担も増えています。
 リストラなどで人数が減っても仕事は減らず、むしろ増えてゆきます。当然のようにサービス残業を強いられることもあります。
 過酷な労働の中で体を壊したり、過労死や自殺に追い込まれることもあります。仕事のせいで鬱病になり、退職をよぎなくされても何の保障もなく、身勝手な自主退職のように扱われてしまう例も少なくありません。
 こんな状況の中で、さらに事態を悪化させかねない提案が経団連から出されました。それが<ホワイトカラー・エグゼンプション>です。
 これは、仕事の内容を時間給では判断しにくい管理職などに対して、労働時間ではなく能力や成果によって給料を決めようという制度です。
 このホワイトカラー・エグゼンプションを説明する時、厚生労働大臣舛添要一は「自分のペースで仕事ができるので、残業を減らせる」と言い、「家庭だんらん法」という別の呼び方を提案しました。
 しかし実際には成果を出さなければ収入が減ってしまうので、今以上に残業が増えることになります。そこで「残業代ゼロ法案」や「過労死促進法案」なのではないかというマスコミや労働者の声が高まり、今のところホワイトカラー・エグゼンプションの導入は見送られています。しかし導入されれば、対象となるサラリーマンの年収が100万円以上カットされることが予想されています。つまり企業が合法的に残業代を支払わずに済むようにするというのが、この制度の本当の目的なのです。
 正社員と非正規社員の不平等をなくすため、「同一労働、同一賃金」にすべきだという声もありますが、実際にこれが実現したとしても非正規社員の給料が上がるとはとうてい思えません。結局は正社員の給料がカットされ、労働者全体の収入が減る一方でしょう。
  
社会保険料を出し渋る悪質企業
 さらにフリーターや派遣社員など、非正規雇用の生活を不安定にしている要因として社会保険や厚生年金に加入しにくいという理由があります。
 そもそも企業には、一週間のうちに30時間以上働かせる場合には正規・非正規の区別なく、従業員を社会保険や厚生年金に加入させる義務があります。しかし実際には守られておらず、労働者の側もそれを知らずに自分で国民健康保険国民年金に加入していたり、最悪な場合には保険や年金に支払うお金を節約するため加入していない場合もあります。
 保険に入っていなければ、医療費が全額負担になってしまうので、ちょっと風邪でもひけば貯金がすべて吹き飛ぶほど高くつきます。お金がなければ病院にもかかれません。月に十数万円しか収入のない人が、月に数万円の保険料や年金を負担するのは非常に大変です。勤め先で加入すれば、企業と個人が半分ずつ負担することになるので、だいぶ楽になります。
 しかし悪質な企業になると保険料や年金を負担するのをいやがって、一週間の労働時間を30時間以下に抑えたり、あるいは入社2ヶ月以内の短期労働者には加入の義務がないので、2ヶ月おきの更新にして加入させないという手段を使います。
 また、従業員を30時間以上働かせながら、平気で加入させていなかったり、加入を希望したら給料から全額天引きされたなどという例もあります。これらの例は、あきらかに法律違反です。
 しかもこの流れは、非正規雇用ばかりではなく正社員にまで広がっています。はじめから何も言わずに加入させなかったり、経営難を理由に途中から社会保険から国民健康保険に切り替えてくれと頼まれる例もあります。
 フリーターを保護するため、社会保険の加入条件を引き下げる法案が出された時、雇用のほとんどをフリーターに依存している外食産業は猛反対して法案を潰してしまいました。
 今や企業は利益を優先させるあまり、従業員に対して責任を持つことを完全に放棄してしまっているのです。そして本来ならば従業員に与えられるべき保障すら奪っておきながら、それを「効率化」と呼んで美化しています。
 
■政府が誘導する、「起業」という名の神風特攻
 これだけ企業に雇われて働くことが大変な時代になってくると、いっそ自分で会社を作って独立した方がいいのではないかという気にもなってきます。たとえどんなに苦労が多くても、努力した分だけ収入として報われるのならばやり甲斐もあり、頑張れるというものです。
 そんな気持ちを助長するかのように、安倍内閣時代に提案された「再チャレンジ支援策」でも、創業・起業の促進が重要視されていました。しかし、その正体は「会社を興したり、お店をはじめたい人には、お金を貸しますよ」という程度のものでした。
 さらに資本金1円からでも会社が興せるという「一円起業」という制度も採用されました。これによって誰でも気軽に会社が興せるというわけです。
 しかし独立する事で、本当に生活は豊かになるのでしょうか?
 日本では今、小さな町工場や、商店街などにあるような家族経営の小さなお店が次々に潰れ、自営業が減少しています。世界的に見ても、日本の倒産率・廃業率は高いのです。
 近頃は起業よりも廃業の方が多いくらいで、身近な例でいえば商店街の収入は全盛期の3分の1以下にまで落ち込み、新たに開店した飲食店のほとんどは1、2年以内に潰れてしまいます。
 これだけ競争が激化しているのに、個人経営の会社やお店をゼロからスタートしても、大規模展開しているチェーン店に勝てるわけがありません。しかも、これまでも見てきたように法律は大企業に対して有利なように作り替えられています。
 たとえ1円で会社が興せたとしても、その創業や開店のための準備や、運転資金などすべてが借金ということになります。つまり失敗すれば借金だけが残ります。
 これではまるで、リスクの高いギャンブルに誘っているだけです。
 現在、お店を経営して順調に利益をあげているのは、ほとんど親の代から受け次いだ老舗ばかりで、ここにも親の資産が子供に引き継がれることで階級を決定するという格差があらわれているのです。
 そんな時代に「一円起業であなたも社長に!」というのは、とてもロマンのある話にも聞こえますが、実のところバカな庶民を騙して、有り金すべて吐き出させて借金漬けにしてしまおうという陰謀なのではないかと邪推したくもなります。
 勝てる見込みのない大企業に玉砕覚悟でぶつかってゆき、借金とともに墜落してゆく。これではまるで、経済を活性化させるための神風特攻隊です。
 一時期、個人経営のお店は大企業に真似できない「スキマ産業」的な戦略で生き残りを計ることができるとメディアでさかんに報道されました。しかし、スキマはあくまでもスキマです。テレビなどで見かける成功例よりも、失敗例の方がはるかに多いのです。
 一般の人々のすべてが天才的な発想や経営能力を持ち合わせているわけではありません。一攫千金のギャンブルよりも、手堅く普通に家族で暮らせる程度の収入が欲しいだけという中流志向の人の方が多いことでしょう。
 しかし今の時代、そんな普通の暮らしすら許されず、雇われても地獄、独立しても地獄というような、負けることを前提とした過酷な競争に誰もが巻き込まれているのです。
 
中流意識の崩壊
 日本は戦後、高度経済成長を遂げました。経済は右肩上がりに成長を続け、それによって国民はまんべんなく豊かになり、誰もが中流以上の暮らしができる「一億総中流化」とまで呼ばれる世の中になりました。少なくとも、そう信じることができるほど、好景気の恩恵を受けることのできる人の数は多かったのです。
 それに比べて、今はどうでしょう?
 かつて好景気の恩恵を一番受けたのが中流階級であったように、現在の不安定な社会の影響を最も受けているのも中流階級なのです。
 かつて「いい学校に行って、いい会社に就職して、結婚をして、平凡な毎日を送る」という生活にうんざりするという風潮がありました。しかし、現在ではその「平凡な幸せ」すら危ういのです。
 いい学校に行ったからといって、就職できるわけでもなく、かつて高給取りといわれたような職業が、次々とその年収を激減させています。例えばバブルの頃には働けば働くほど稼げると言われたタクシー業界も規制緩和によって台数が増えてしまったため、ドライバーの平均年収はワーキングプア並みにまで落ち込んでいます。エリートというイメージが強い歯科医も、開業医の場合はかかる経費に比べて収入が減少しているため、やはり年収300万円以下という例が少なくありません。
 学歴や技能があるからといって、それが収入に結びつかなくなっているのです。職場で必要とされる資格を取ったのに、時給が10円しか上がらなかったなどという話は多くあります。
 競争社会は意欲的な人間にとっては非常にスリリングで面白味のある世界かも知れません。しかし、大多数の人たちにとって必要なのは、確実に生活できるだけの収入を得る方法なのです。
 実は今、最も苦しいのはこれまで中流意識を持って生きてきた人たちかも知れません。これまで競争を強いられるのは受験戦争くらいで、一度就職したり商売をはじめて軌道に乗れば、そのレールに乗ったまま一生過ごせると思っていたはずです。それが、何の準備もなく競争の波に飲み込まれてしまったのです。
 競争社会への急速な転換は、戦う準備のない丸腰の人間が、銃や剣を持った兵士たちのウジャウジャいる戦場に放り込まれるようなものだったのです。

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