金のないヤツは持久戦でいくしかない
貧乏・ニート・非モテを一括りに語るのは暴力的かも知れないけれど、親和性が高いのは否めないだろう。
一般的に「ニートは贅沢で甘えてる」と誤解されがちだが、実際には親にパラサイトしてる場合じゃないような低所得者層の家庭に多かったりする。
モテないのもビジュアル云々の前に、身だしなみなど基本的なステータスアップにコストをかけられないというケースが多い。
格差社会だなんだと、ここ数年騒がれているけれど、貧乏の最たる有害さというのは「成功体験」の少なさだと思う。
成功したことが無いから、成功のしかたがわからない。
そもそも成功なんてものがこの世にあるのだということにすら気づけない。
チャンスなんてどこにでも転がっていると成功者は言うけれど、この世にチャンスなんていう概念が存在することにすら最初から知らされていない。
そこに貧困が連鎖する原因がある。
子は親を観て育つから、成功体験の少ない親は子供に成功体験を与えることができない。
親が子供の学費に金が掛けられないとかっていうのは二次的な要因だと思う。
実際に自分は、それに気づくまで人生のスタートラインに立てていなかった気がする。
こういう書き方をすると怪しいセミナーの勧誘みたいだが、「時は金なり」というように、貧乏人は「金の代わりに時間を費やすしかない」と最近気づいた。
金持ちの息子が親の金で大学に行って身につけるスキルを、決して貧乏人が身につけられないわけではない。
しかし、親の仕送りがあればバイトをせず勉強に打ち込めるところを、貧乏人は自分で生活費を稼ぎながら勉強しなければいけない。
それだけの時間と労力を掛けても価値のある見返りがあるのだと、信じることが出来なければ挫折してしまうだろう。
そもそも、スキルを磨くことの意味や価値を知らなければ、努力することに意味や価値を見いだせない。
これはあまりに残酷なことではあるけれど、しかしどこかで「金がないなら時間を費やすしか仕方がない」と割り切るしかない。
たとえば僕が手がけている商店街のキャラクターなどは潤沢な資金が用意されているわけではない。
むしろ最初の頃はほとんど予算もなく、交通安全のキャンペーンやエコバッグ推進事業などの予算に便乗してタイアップしたり、商店街の人々が手弁当で長年運営を続けてきたからこそ、今の知名度がある。
それですら全国的には無名だ。
これが企業や芸能事務所のプロモーションだったら一気に宣伝費をかけてメディア展開ができただろう。
しかし、キャラクターの場合は地域の人々の支援という「小さな成功体験」があったからこそ継続できた。
活動を間近で観ていた人々にとっては、ファンがひとり増えるたびに手応えがあった。
その実感が、さらに周囲で観ていた人々にも伝わって、「なんだキャラクターというのは効果があるんじゃないか」と評価されるようになった。
なんていうか、人生の負け組というのか、ゼロより酷いマイナスから人生をはじめてしまった人というのは一発逆転とか一攫千金に走りがちだけれど、実はまず「小さな成功」から積み重ねていくしかない。
それを実感しやすいのは何かといえば、人に喜ばれることだ。
どうもひねくれると人間というのは、もっと嫌がられてやろうと自暴自棄になってしまう。
下世話な話になるが、人から「ありがとう」と言われる事は何らかのカタチで金になる。逆にいやがらせをしたところで一銭にもならない(まあ、恐喝は別だけど)。
「小さなありがとう」を探すと、貧乏から脱出できるかも知れない。
僕なんかは未だにバイト暮らしではあるけれど、人から「ありがとう」と言われることをやり続けることで、小銭が稼げるようになった。
あと、運が良かったのは商店街というのは企業と違って「失敗に対して寛大」だったことだろう。
なんだかんだで企画でも商品開発でも、失敗を繰り返してきた。
それでも気長に成長を待ってくれたからこそ、今の自分がいる。
「トライ&エラー」を許さず、失敗したら終わりという最近の風潮はスタートラインでつまづいた人間にとって、あまりに厳しすぎる。
でもまあ、自分は他人より劣ってると気づいたら、人の10倍時間かけるつもりでやってくしかないし、他人と競争したら絶対負けると思うなら競争しなくても済む方法を見つけるしかない。