犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

月蝕歌劇団 『<津山三十人殺し>幻視行』

 
数年ぶりに月蝕歌劇団を観てきた。
かつてのような華やかさはないけれど質実剛健で、安心して暗闇に身をまかせることの出来る良い舞台だった。知らない女優さんばかりだったけれど、巧いとかヘタではなしにその演技に感情を揺さぶられた。
 
津山三十人殺し』という実在の事件を取り扱っているだけに、これほどグロテスクで不謹慎な劇もないだろう。
主人公の殺人鬼・都井睦雄の主観にカメラを固定した心理劇として観れば、確かに「悪いのは自分じゃない。自分を捨てた女たちだ。結核患者を虐げる周囲の者たちだ」という被害妄想的な心境は実にリアルだ。しかし、犯人を美化すればするほど、目をそむけたくなるような現実の事件とも向き合わざるを得ない。観る側にずいぶんと心の準備やリテラシーを要求する敷居の高い内容だった。
 

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※ネタばれ注意
 
村で大量殺戮を繰り広げたムツオの前に、異国風の衣装に身を包んだ謎の三人組が現れる。その正体は、小説家を夢見たムツオが、かつて創作した物語の主人公たちだった。彼らは「津山三十人殺し」を阻止し、ムツオに幸福な人生を送ってもらうため、ムツオがまだ少年だった時代にタイムスリップする。結核を治すクスリを開発し、ムツオが憧れた阿部定との出会いを演出して殺人を思いとどまらせようというのだ。
しかし、彼ら同様、ムツオの殺人を阻止しようと画策するもうひとつの集団があらわれる。二・二六事件でクーデターをくわだてた日本陸軍青年将校たちである。こちらはムツオの殺人鬼としての才能を戦争に利用するため、口説きにきたのだ。
両者、「津山三十人殺し」を食い止めるという目的は同じだが、その真意がまったく異なる。
そしてクライマックスに登場する、心からムツオを愛しその犯罪を阻止すべく彼の前に立ちふさがる第三の人物。果たして、その人物がとった行動とは……
 
いつも通り主題となるテーマにプラスして、アクロバティックな歴史解釈を織りまぜて剣戟と銃撃で彩る独特の世界が広がる。しかも今回は「津山三十人殺し」「阿部定事件」「二・二六事件」と3つの歴史的事件に都井睦雄の創作した小説世界が複雑に絡み合って異様な物語が展開する。 
過保護すぎる祖母への愛憎、愛した女性たちの裏切り、結核によって台無しになってしまった自分の将来……あらゆる要因がムツオの精神に作用して、歯車を狂わせる。
 
阿部定に憧れたムツオによる「犯罪の連鎖」は、通り魔事件やネット上での犯行予告が続発する現代に通じるものがある。おそらく高取英は、意識して引きこもりやオタクの戯画として都井睦雄を現代に召還したのだろう。 
認めたくはないけれど、殺人というのは最もスキルを必要としない自己実現なのだ。人間はたとえいじめられても罵られても無視されるよりはマシと感じて、相手の気を引くような嫌がらせをしたり、わざと相手の攻撃本能を刺激することがある。秋葉原の事件に端を発するの劇場型殺人はその典型だろう。
戦場と違って無防備な人間を殺すのにスキルは必要ない。人を殺せば、少なくとも無視されることはない。うまくいけばワイドショーや週刊誌に取り上げられる。さらに秋葉原の通り魔など、日雇い派遣の禁止に貢献し英雄扱いされてしまった。スポーツや学問や商売で名を残すのは難しいから、殺人はスキルの無い人にとってずいぶんと手軽で確実な売名行為に見えてしまうのかも知れない。河内十人斬りの犯人・鬼熊なども「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」と、河内音頭でも謳われるように、後世に名を残してしまった。
おそらくこの先、「殺人が自己実現の手段になってしまう」という前提を考慮した上で対策を講じないことには、似たような事件を食い止めることはできないだろう。
 
自分自身が罪を犯さないという決意はもちろん<優しさ>につながっているが、目の前にいる人間に罪を犯させないというのもまた<優しさ>だ。 
たとえば「津山三十人殺し」の場合、村人は睦雄が何かしでかすであろうことに薄々気づいていたという。果たして、あと寸でのところで犯行に及ぼうとしている人間を前にして、自分たちは何ができるだろう? これはかなり切実な問題として身につまされる。
 
身近な商店街で通り魔事件があった時にも考えたことだが、僕たちは<平和>というものをちょっと勘違いしているのかも知れない。<平和>という状態はあらゆるリスクを未然に防いだ結果として維持されるもので、何も起こらないから<平和>なのではない。 
目の前に困っている人がいるのに見て見ぬ振りをするというのは、リスクを放置するのに等しい。それは貧困だったり、いじめだったり、その他諸々の事情があるだろう。 
最近だと渋谷駅で79歳の老婆が女性を二人刺したという事件があった。生きる宛のない老人が刑務所に入りたくて放火するなんて話は昔からたくさんあるが、なんとなく気持ちがわからないでもない。
思えば十代の頃、自分にとっての自衛隊セーフティネットだった。僕の頃はまだバブルが崩壊していたとはいえまだ豊かな時代で、自分から進んで自衛隊に入ろうという人は少なかった。しかし、自由で多様性の保証された時代に、あえて選択肢のない半強制的な生活環境を望む不器用な人間もいるのだ。望むというよりも、他に道を見いだせなかったというのに近い。
 
かつての自分と似たような状況として、ワーキングプアプレカリアートと呼ばれる人々には「溜め」がないと言われる。お金や人間関係、そしてスキル。家庭環境にも恵まれず、自分一人で生きていく自信のないカラダひとつ無一文の人間が<金・人間関係・スキル>を手に入れるには、自衛隊というのは充分な環境だった。
自衛隊にいたから当時50万円くらいしたノート型パソコンを買うことも出来たし、「Adobe Illustrator」のような高価なソフトも買えた。時間的な余裕もあったから、その時間を学習にあてることができた。おそらく学生時代よりもよっぽど本を読んだし、知識を広めることができた。
実はクリエイターこそ親の格差で人生の何割かが決定してしまう。最近、若いマンガ家のタマゴ達と多少関わることがあって、彼らを見ていても残酷なほどの格差を感じてしまう瞬間がある。だから「自衛隊に入って金儲けしたい」というような赤木智弘の発言には、憐憫の情がわく。パラサイトできる親がいるような中流家庭の青年までもが、やっかみ半分に自衛隊をうらやむくらいに貧困の水位が上がってきているということなのだろう。
 
昔は<衣・食・住>と言われたが、今求められているのは<医・職・住>だろう。皮肉なことに、これが保証されているのは自衛隊と刑務所くらいだ。 
今は100円ショップやユニクロのおかげで、ホームレスでも小ぎれいな格好をしているが、やがて原料の高騰が進めば再び<衣・食・住>を求める時代に逆戻りするかも知れない。未来から振り返れば、派遣労働者による通り魔事件も、心を病んだオタクによる親殺しも、津山三十人殺しも、「ああ、あの頃は贅沢だったよね」の一言で片づけられてしまう日が来るかも知れない。「今、オレたちの置かれた状況の方が地獄だよ」と、皮肉な優越感とやっかみから、僕たちは過去を振り返るようになるかも知れない。団塊の世代が戦中派の武勇談に辟易したのとは逆に、我が身の不幸を他の世代に自慢して見せるしかないような、そんな時代が足音をしのばせて近づいているような気がする。
 
何の話だか散漫になってしまったが、月蝕歌劇団の『津山三十人殺し』には現在の我々の状況を考察する批評的な眼差しがある。もう公演は終わってしまったので人に薦めることも出来ないが、久々に歯ごたえのあるものを観た。
 
 
 
月蝕歌劇団
http://page.freett.com/gessyoku/
 
無限回廊 - 津山30人殺し
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm
 
◆MAMMO.TV - #159 赤木智弘さんと話をするhttp://www.mammo.tv/column/genichiro_takahashi/20080308.html
 
 
◆Dog Planet Cafe 〜 犬惑星 〜 - 月蝕歌劇団家畜人ヤプー
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20000522/

◆Dog Planet Cafe 〜 犬惑星 〜 - 映画『裸の十九歳』
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◆Dog Planet Cafe 〜 犬惑星 〜 - 映画『コンクリート
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