犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

ミサイルの思い出

 

痛いニュース(ノ∀`):北朝鮮「少しでも迎撃の動きでも見せようならば、直ちに報復の打撃を加える」
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:NikkoYomeimon5005.jpg

 
まだ自衛隊に居た頃、大型トラックの教習を受けていた最中に「北朝鮮がミサイルを発射した」という情報が入った。
それは米軍からの情報で、わかっていたのは発射したと事だけ。
まだ、どこに落ちるのかは、わからなかった。
 
その日は、あまりにのどかで、拍子抜けするような陽気だった。
太陽の下、芝生の緑がまぶしいかった。
「ああ、戦争ってこんな風に始まるのか…」と漠然と思った記憶がある。
 
当時、僕は千葉にいた。
両親は東京にいた。
 
おそらくミサイルの標的は東京だろう。
そうか、両親は死ぬのかと思った。
何の感慨も無かった。
おそらく涙も無いだろう。
いい厄介払いが出来たとすら思った。
 
核が積んであれば被害は千葉にも及ぶだろう。
どちらにしろ、かまわないと思った。
戦争に突入するなら、それもおもしろいと、不謹慎なことも考えた。
 
訓練が終わってからテレビを見たが、ミサイルが発射されたというニュースは流れなかった。
たしか翌日になってから、ミサイルは日本を通り越して大西洋に落ちたと報道された。
 

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終わった戦争に対しては「なんであんな馬鹿なことをしたのか」と非難がましく言うけれど、大義名分の無い戦争なんて未だかつて存在しない。
もし今回の騒動で開戦しても国民は意外とすんなり受け入れてしまうんじゃないかという雰囲気がある。
もちろんみんな戦争には反対だろう。
しかし降りかかる火の粉は払わなければならないとか、
苦しむ北朝鮮の人たちを救わなければならないとか、大義名分は充分ある。
いかようにも戦争を正当化する素材はそろっている。
 
とりあえず今なら、戦争がはじまったら妻と犬の心配くらいするだろう。
次にスパンキーやギンジロやイチバンタローの安否も気づかうだろう。
心配事が増えると戦争なんてやる気にならない。
 
今にして思えば、高度経済成長時代のマイホーム主義ほど反戦に貢献したものはない。
逆に言えば、家族とかマイホームとか恋愛至上主義とか、そういうモノが何もかも奪われて失うモノが無ければ戦争を望む人間はいくらでも現れる。
特需で雇用が生まれるかも知れない。
戦場に行かずに済むような富裕層ばかりでなく、戦場に行かされるような<持たざる者>すら戦争を望みかねない。
 
以前にも書いたけれど、電車に乗っていたら高校生くらいの部活帰りの少年二人が、
自衛隊って一日中スポーツしてればいいんだって」
「銃も撃てるしな」
「いいよね!」
みたいな会話をしていた。
中流家庭の子供たちが、単なる就職先として「自衛隊いいよね!」とか言う時代が来るとは思わなかった。
 

 僕が自衛隊にいたのは90年代後半だった。
 湾岸戦争自衛隊の海外派遣はすでにはじまっていたが、誰も本気で戦場に駆り出されるとは思っていなかった。同期の人間は「戦争が起きたら、オレは逃げるね」と豪語していた。
 だが、他に行くあてもない僕は戦争が起これば、喜んで行くつもりだった。理由は赤木智弘とまったく同じだ。どうせ生きる価値がないのなら、いっそお国のために死んで英霊として祀られるのも悪くない。それどころか、どうせ死ぬ気なら物見遊山に戦場をこの目で見てみるのもいいだろうと自暴自棄な気分だった。今思えば、随分と迷惑な動機だ。
 当時の自衛隊は、どこか社会からあぶれた者の行き着く場所というイメージがあった。受験や就職に失敗した者、過酷な労働で身体を壊してしまった者、借金のある者など、みんな娑婆で居場所を失った者たちだった。
 たしかに、最初の教育訓練は過酷なものだった。帰るあてがあるのなら、逃げ出したくもなるだろう。実際、「脱柵」と言って逃げ出してしまう者も何人かいた。
 
ワーキングプア死亡宣告』より

ワーキングプア死亡宣告 (晋遊舎ブラック新書 13)

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