犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

テレビアニメ 『ひぐらしのなく頃に』

アニメ版『ひぐらしのなく頃に』にハマってしまった。ゲームは長そうなのでやってない。

一個人がどんな作品を好むかなんていうのは「当事者性」によるところが大きいわけで、単に自分の置かれた状況に照らし合わせて共感してるだけなんだろうなと思う。なので、あえて他人にススメたりはしない。

でも、このアニメ、普通に通して見ただけじゃ単なる不条理極まりない既知外アニメでしかない。

しかし、この作品世界の裏側に仕組まれた<構造>のようなものを理解すると、それまで不条理だったすべてのことが途端にけなげで愛おしく思えてくるから不思議だ。

その<構造>の謎を解き明かすことこそがこの作品のゲーム性であり最大の楽しみではあるんだけど、正直、アニメ版だけでは補いきれない。というか、ふつうに社会人やってたら同じ作品を2度も3度も見返して吟味することは出来ない。

そこで、アニメをサラリと楽しみたいならネタバレした状態で見た方がおもしろいんじゃないかと思う。正直な話、1クール目の最終回なんて<構造>がわかってないと気分がまったく盛り上がらない。

 

知っておくべきルールは2つ。

◆祟り・宇宙人などさまざまなオカルト要素が登場するけど、実在するオカルト要素はただひとつ。昭和54〜58年までの時間がループし続け、微妙に結末の違うパラレル世界がいくつも存在する。

◆ループし続ける時間の中で、唯一記憶を保っていられる人物が時折あらわれる。しかし、基本的に記憶を継続できるのは神社の娘である古手梨花ただひとり。過去に同じ事件を経験しているので、彼女だけが必死に惨劇を繰り返さないように立ち回っている。ただ、未来をすでに知っているので、他の登場人物の視点から見ると気味が悪く、へたをすると他のキチガイ同様、狂ってるようにしか見えない。

 

この2つがわかってないと、古手梨花というヒロインは単にオヤシロさまに取り憑かれたオカルト少女か、自分で自分の頭を包丁でザクザク突き刺すキチガイにしか見えてこない。

やたらと俗流心理学的なギミックが登場し、ただひたすら登場人物が殺戮を繰り返す作品なので、一見すると視聴者の興味を引くためだけに行き当たりばったりで話をつなげているだけにみえるけど、実は「人間関係の困難さ」が根底のテーマだったりする。

この作品の中に登場するオカルト的な出来事はすべて各ストーリーの<当事者>の目から見たときに不可解なだけであって、すべて極ありきたりな<誤解>の積み重ねでしかない。

原作者・竜騎士07は雑誌『ファウスト』のインタビューで、この世で最も恐ろしいのは、人間同士の<誤解>だと語っている。登場人物たちはお互いに他人には語ることの出来ない秘密を抱えており、他人に心をひらかず疑心暗鬼になることでどんどん状況を悪化させてゆく。この物語には最初から最後まで、疑心暗鬼と被害妄想しかない。その疑心暗鬼と被害妄想を癒すために奔走するヒロイン・古手梨花に胸を熱くするのがこの物語の本筋なのではないかと思う。「他人を変えることはできない、でも自分は変われる」という交流分析的思想が、本当に不幸な世の中を救うことができるのかという思考実験でもある。

まあ、ただ単に自分がこの物語に心魅かれるのは、肉親や友人関係の中に疑心暗鬼と被害妄想の嵐が吹き荒れた経験があって、その時の自分の境遇と重ね合わせているだけなんだろうとは思う。普通の人からしてみれば、京極夏彦や遠野浩平、あるいはエロゲーがすでにやりつくしてしまった技法だろうし、わかりやすく言えば『木更津キャッツアイ』の<●回表/裏>っていう構造とまったく同じなんだと思う。
 
◆テレビアニメ「ひぐらしのなく頃に
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