犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『ワラッテイイトモ、』

 変えてもいないのによく、「メガネ変えた?」と訊かれる。こういう天気の話レヴェルの日常会話があまり得意ではないので、こういった質問を毎日間断なく速射砲のごとく連発できる人々の感性には憧れるところがある。だから「最近ちょっと太った?」とか「髪切った?」といった、やや投げやりなタモリ的ギミックによる精神的摩擦の回避術には学ぶべきところが多い。しかしそれはかつてタモリがアドリブの効かない芸人として心配されつつも毎日ナマで放送される番組のレギュラーを任された瞬間に生み出された処世術だったのだという。
 僕らは彼のおかげで、平坦なくらいどこまでも水平線上に続く『笑っていいとも!』的日常のくさびに心臓を貫かれ、日々の暮らしをどうにかこうにかやりくりしている。かつて密室芸人としてアングラ方面やジャズメン達に寵愛されたタモリも好きだが、最近はすっかり妥協に妥協を重ねて一見するとユルく生きているかのように見えかねないタモリの偉大さがわかる年頃になってきた。
 
 一度は『キリンアートアワード2003』で優秀賞に選ばれながらも、著作権・肖像権の問題をクリアできずに落選してしまい、後に新設された特別賞として世に出たK.K.氏の『ワラッテイイトモ、』がアップリンク・ギャラリーで再上映されていたので観てきた。作者が自宅に引きこもっていた時代の『笑っていいとも!』一週間分を他の番組や人形劇、作者自身の一人芝居などを織り交ぜて数年間にわたって編集し続けたという作品で、テレフォンショッキングのタモリがDJリミックス風にカクカクとスクラッチを続けたり、作者が画面の中のタモリと会話したり、あらゆるエフェクトを駆使してタモリという素材を<解体>して、自己の内部へ吸収し<懐胎>してゆく。
 
 こういう上っツラだけのレビューを書くと、爆笑必死のオモシロ作品と勘違いしてしまうだろう。現に、そう判断して再上映会をおとずれた人間が何人か上映中にそそくさと抜け出す場面に遭遇した。同行した友人は非常に楽しんでいたようだが、カミさんは不服そうな顔をして「体調の悪いときに観たら吐きそうだ」というような事を言っていた。
 
 80年代、港区方面のトレンディな若者のあいだでは深夜番組終了後の砂嵐に覆われたTVモニターを眺めることが流行したという。もちろんシラフじゃないだろう。時は折しもステレオグラムが流行っていた時代だ。ケミカル系のドラッグは動体視力に作用するので、交流電流によって発光している蛍光灯の明滅が見えたりする。その一瞬垣間見える影の部分に実在しない何かの輪郭が網膜に焼きつくのだ。だからエンボス地の壁紙をみているだけでもアニメキャラクターが浮き出して動き出したり、TVモニターの砂嵐の中で世界の偉人がピョコピョコ飛び跳ねたりするのが見えてくる。映像によるトリップはダンスによるトランス状態とはまた違った趣がある。眼球を高速度で回転させることによってPTSDをすみやかに消失させる「EMDR」という精神療法があるらしいのだが、これには「根拠がない」と批判する専門家が多いという。しかし、眼球を高速回転させていると擬似的にトリップしている状態と同じような感覚になってくるので、心の傷が癒えるかどうかはともかく、気持ちいいのは間違いない。
 
 『ワラッテイイトモ、』という作品の本質は、こういった視覚作用による疑似LSDといった側面にあるのではないかと思う。漫★画太郎・原作の映画『ババアゾーン』も似た部分があって、全裸のメガネ君が古本屋のシャッターをガンガン叩きながら「おやじ〜エロ本を売れ〜」と絶叫するシーンがある。この全裸でシャッターを叩きながら絶叫するシーンが全く同じカットの使い回しで何十回も繰り返される。一回目は思わず失笑が零れる。しかしそれが数十回目に達すると、脳味噌の大切なパーツが弾け飛んで笑いが止まらなくなる瞬間があるのだ。あれは絶対に普通のお笑いセンスの次元とはまったく別世界の生理反応なのではないかと思う。K.K.氏の実力というのは映像センスではなくリズム感にこそ発揮されているに違いない。
 だからいずれ、仮にWinnyなんかでダウンロード出来るようになって出回ったとしても、部屋のモニターで鼻くそをほじくる片手間にこの作品を観たとしても「ふぅ〜ん」の一言で片づけられてしまいそうな気がする。僕はアップリンクギャラリーで、周囲の小粋なオシャレさんたちが壁際の席でワインをすすりながら気取って観ているのを良いことに、プロジェクターの真後ろ、センター・ポジションに陣取って缶ビールをガブ飲みしながら観てきた。とことん没入するくらいの気合いを込めて画面に見入ると、アレは気持ちいい。
 おそらくシラフで観たんじゃクスリと笑う場面が何カ所かあるくらいで全く楽しめないんじゃないかと思う。『ワラッテイイトモ、』はちょっぴり悪いオトナがこっそりたしなむ合法ドラッグみたいなものだ。だからもちろんユルい。そのユルさを許容できる人間だけが楽しめるのだと思う。
 そもそもアップリンクで上映するような作品である、という時点で察してしかるべきだ。 
 
◆AKAIRAI O-HOLIC GARDEN PROJECT 通称“AOGP” のサイト
http://www010.upp.so-net.ne.jp/A_O_GaRDeN/watashi2/w3.html