犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

マンガ原作者になる方法 その2

 
疲労困憊している時に布団の中で目を閉じ、
ジッと瞼のウラをぼんやり見ていると幾何学模様が見えてくる。
そのまま焦点右を見たり左を見たりして、キョロキョロしてると
色彩が加わり、草原やら無限に続く瓦屋根といった風景に変化する。
さらに意識を集中してゆくと、だんだんと幻覚は具体的になってゆく。
 
村上隆の作品にあるような戦闘機に変形する美少女が無尽蔵に変形を繰り返したり*1
ドット絵のキム・ジョンイルが、ギャラガのような極彩色で弾けたり、
時にはそのまま明晰夢の世界に突入した。
 
あの頃は両親の集団ストーカー妄想がひどく、
ノイローゼ状態だったというのもあったかも知れない。
現実逃避のため、眠りの世界に逃げていたのだろう。
ここ最近は同じ事をやっても一切幻覚を見なくなってしまった。
 
ビートルズをはじめ、ヒッピー世代のアーティストは
意識拡張のためにLSDなどの幻覚剤を使ったという。
しかし実際に自分がそれらの幻覚を見て感じたのは、
意識拡張による無限の可能性よりも、
自分自身の「限界」だった。
 
いくら自分の「内面」を深く掘り起こしても、
自分の中にあるものしか掘り起こせない。
戦闘少女もジョンイルもギャラガも、
すべてかつて見たモノの焼き直しに過ぎない。
だったら新作映画を観たり、新作ゲームで遊んだ方がよっぽど刺激的だ。
自分の奥深くへインナーとリップするのは心地よいが、
何か新しい物がそこから生まれるようには感じなかった。
 
モノを作るとき、自分の内面というのは嫌でも投影されてしまう。
だったらむしろ投影されない「外部情報」こそ積極的に取り入れるべきだろう。
最近は時々、若手の作った作品にコメントを求められることがあるけど、
一番ダメなパターンは自分の内面にあるものだけで勝負しようとしている場合だ。
特に商業的なマンガ原作の場合、作家性は求められない。
以前にも書いたが、求められているのは「情報」だ。
しかし、作家性を盛り込むことは出来る。
うまく情報を整理して、その味付け程度には作家性が求められる。
 
「内面」や「作家性」は意識などしなくても滲み出る。
だから気を使うべきは「外部情報」なのだ。
 

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それでも強烈な作家性や内面を深く掘り起こした作品に心魅かれる気持ちは痛いほどわかる。
かつて僕も、精神を病んだ人ほど文学的に面白いということに敗北感を感じていた。
 
◆惑星開発座談会 『新興宗教オモイデ教』より「文学は病理か?」参照
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/omoide01.html
 
そこで精神疾患的な思考を模倣することによって、
もっとシステマチックに物語を作ることはできるんじゃないかという結論に至った。
おそらく断片的でランダムな意識の跳躍をタロットカードに託してノウハウ化した大塚英志物語論と同質のものだろう。
 
たとえば実話怪談を書くときには、以前に「集団ストーカーの恐怖・前編」*2で披露したような統合失調症患者の症状を取り入れ、あえて病気でしたというネタ明かしをせずに終わらせることでオカルト談にしてしまったりする。
 
さらにうちの父親なんかにも顕著な例だが、精神疾患の人は「関連妄想」がひどい。
なんでもかんでも関連づけて、意味のないところに深い意味を生じさせてしまう。
たとえば電話番号や自動車のプレート、偶然見かけた時計の表示など、数字が一致しただけで「奇跡」や「意図」を感じてしまう。
ハローバイバイ関の疲労する都市伝説などは、こういったムリヤリな関連妄想を駆使して作られている。
コールドリーディングの技法としても「セレクティブメモリ」というのがあって、印象に残った情報だけが記憶に残り、あとはすべて忘れてしまうから占い師の予言は当たったように見えるというのがあるが、まさに関連妄想の核にあるのは「セレクティブメモリ」と同様の思考法だ。
ずっと気にしてるから何もかも関連して見えてくる。
 
僕は批評なんてものも、結局は関連妄想の延長だと思っている。
たいていのモノは偏見をもって見てゆけば、関連づけることは可能だ。
 
通常、精神疾患の人は無意識のうちにあらゆることを関連づけてゆくので、
いろんなものが奇跡に見えてしまう。
しかしこれを意識的に行うことで、100%の確率で奇跡を起こすことも可能になるのだ。
 

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