犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

反米・危険思想としてのディズニーランド

「予審判事が、お前は世界の独裁者になるつもりだったろうと言うので、こんな狭苦しい世界の王様なんかに、世界中が頼んでもなってやらん。まあ三千世界中がよって三千世界の王様にでもなってくれと頼むなら、ヒョッとすればなってやらぬものでもない、と答えた」
 
出口王仁三郎 三千世界大改造の真相』中矢伸一

 
 ディズニーほど反米的な存在はないと日頃から主張しているのだが、誰もとりあってはくれない。まあ、それも仕方ないとは思う。
 
 僕の勝手な思い込みなのかも知れないが、出口王仁三郎ウォルト・ディズニーは似ている。この出口王仁三郎のエピソードに似た話がウォルトにもあって、ウォルトは「どうして大統領に立候補しないのですか? あなたならきっと当選するのに」と言われるたび、「どうして今さら大統領になる必要があるのです? ぼくはもう王様なんですよ、ディズニーランドの……」と応えていたという。
 
 既存の国家が眼中にないという意味で、どちらも共通している。
 出口王仁三郎の率いる大本教は日本政府の意向にまつろわぬ者として宗教的弾圧を受けたが、ウォルト・ディズニーもまたある意味では国家に反逆する者であった。ウォルトはかなり本気でディズニーランドを独立国家として合衆国から分離することを考えていたらしい。それも戦争や武力による革命ではなく、平和的な政治手腕によるものだった。ディズニーランドを建設するときに医療・郵便・消防などの役所的な機関を園内に作ろうとしてカリフォルニア州に働きかけている。そのうちいくつかは実現できたが、郵便など国家の利権に関わる部分では挫折している。
 
 次にウォルトはエプコットセンターというユートピアを夢想する。そこは初期の計画を紐解けば、人々の暮らし全てを理想的に管理する独裁国家だった。
「衣・食・住」すべての暮らしがエプコットセンターの中でまかなえるように計画されていた。たとえば従業員はみな遊園地の敷地内に暮らし、生活に必要な店舗や公共機関もまた敷地内に用意する。そこでは外部からやってくるゲストはみな外貨を自国に流入するための外交手段のようなものだ。ウォルトはまた、自動車はエネルギー的にも人々の動線的にも非効率的な交通手段だと考えていた。だからすべての交通はモノレールで一本化し、必要とあらば物資輸送のためだけに自動車を使おうと計画していた。これは大本教に限らず、たとえば出口王仁三郎と親しかった天理教などもそうなのだが、日本国外に理想都市を求めて満州へ開拓団を送り込んでいる。結局、戦争や匪賊の襲撃を受けて夢はかなわなかったのだが、新世界に対する野心は共通している。既存の国家がもはや理想を追求できないのならば、真に理想を追求する者は汚れた俗世間から隔離された生活を送るほか道がなくなる。イエスの方舟オウム真理教のように共同体が小さければ小さいほどカルトと呼ばれ、腐ったミカンの方程式で爛れた状況に陥りやすいとは思うのだが、ディズニーくらい規模をでかくして経済的な計画性をもってしたら、もしかすると一世代くらいは理想的な生活を送れるのではないかと思う。ただし、その理想的な環境で育った第二世代がそのユートピアに満足できるかというと、実に心許ないのだけれど。きっと最初から用意されている平和や幸福に満足しきれず、今の団塊ジュニアみたく荒んだ子供たちが育つかも知れない。結局、エプコットセンターも単なる永続的な万博会場になってしまったし、ユートピアは達成されなかった。
 
 木登りしたり日本神話のコスプレをしていたりするような、現存する写真からみんながイメージする出口王仁三郎の<無邪気さ>や<神聖なおもむき>というのは実は自己演出で、本当はかなりの俗物であったと僕は個人的に思っている。
 王仁三郎の能力というのは≪神懸かり≫ではなく≪見分け≫にあった。実際、明治31年に出口ナオの三女ひさと初めて接触するときに「自分は神を見分ける者だ」と名乗っている。もともと王仁三郎と出会う以前の出口ナオは神懸かり状態となっては「艮の金神」と交信していた。それを「艮の金神=国武彦命」であると見分けることによって、王仁三郎は出口ナオのパブリック・イメージを上昇させるプロデューサー的役割を担っている。≪神懸かり≫が一種の「統合性失調症(精神分裂病)」だとすれば、その幻聴や支離滅裂な妄想を宗教として成立させるための解釈が必要だったのだ。王仁三郎は「鎮魂帰神術」というものを心得ていたようで、これは人為的に神懸かり状態を造りだす方法だった。神懸かりする≪神主≫と、降りてきた神の正邪や品位を見極める≪審神者(さにわ)≫が一組となって神託を受けるのである。今で例えるなら、つんくモーニング娘。をプロデュースしてヒットを飛ばすようなものなのだろう。
 
 一方、ウォルト・ディズニーの映画作法というのも自分自身の技術によるものではかった。ミッキーマウスをデザインしたのもウォルトではなく友人のアブ・アイワークであったことは公然の秘密である。そんな自分自身のポジションに対する多少の葛藤はあったようで、自分の一切関わっていないディズニー・アニメがヒットすると嫉妬の炎に身を焦がし神経をすり減らしたといわれている。
 

 私の役割かね? さあて。ある少年から『あなたがミッキーマウスを描くの?』と尋ねられたとき、私は答えに困った。自分がもう漫画を描いていないことを認めなければならなかった。『じゃあ、あなたがあのジョークやアイデアを考えつくの?』と、少年は訊いた。『いや、それもしない』と、私は答えた。とうとう、彼は私を見て言った。『ディズニーさん。じゃあ、あなたは何をしているの?』『そうだな。私は自分がちっちゃなハチだって思うことがあるよ。こちらからあちらへと飛びまわって花粉を集め、言うならばみんなを励ましているのさ』
 
『闇の王子ディズニー』マーク・エリオット/古賀林幸=訳

 
 しかし両者とも、自分自身の職能レベルはそれほど高くないにしても、ある理想を持っていてその理想に向かって人々を駆り立てる才能に恵まれていたことは間違いない。一方は日本政府から非国民として弾圧され、もう一方はアメリカ文化の象徴として一般大衆の目をあざむき続けている。その着地点が非常におもしろい。もはやウォルト亡きあと、ディズニー社は国家云々という大風呂敷を広げてみせる気概もなく、利権のゴリ押しと利益の追求で手一杯な様子ではあるが、かつて理想に燃えた酔狂の夢の跡と思えば、ディズニーランドを見る目も変わってくるのではないかと思う。何度も繰り返しになるけれど、ディズニーランドって本当はアンチクライストであり反米なのだ。国家にそむくことが単純に戦争や暴力による革命を志向するものではないという、良い例だろう。人を殺さずに革命を試みた独裁者がかつて居たのだと思うと、不謹慎な笑いが込み上げてくる。