犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『かなまら祭り』

 五月病もプレデビューしつつあるこの季節。今さらだが、四月の第一日曜日に『かなまら祭り』に行って来た。テレビでの露出は少ないが、ネットでは何かと話題になりやすい類の情報なので、きっと知っている人も多いと思う。早い話がポコチンの形をした神輿をかついで町内をめぐるという奇祭 ――みうらじゅん風に言えば「とんまつり」である。エロといえばエロ極まりないし、下品と言われれば返す言葉もないのだが、これがまた至極滑稽でほがらかな祭りなのだ。この『かなまら祭り』を主催する金山神社に関する説明は検索サイトにまかせるとして、いきなり本題に入る。
 
川崎大師の駅を降りると、やけに外国人観光客が多い。それもそのはずで、数年前にニューズウィークか何かで紹介され、外国人専用バスで観光ツアーが組まれているらしいのだ。しかもその雑多な人種の人波に押し流されながら、すぐ前を歩く老夫婦の会話には笑った。
 
かなまら祭りって、どんな祭りなんだい?」
「外人が下半身ハダカで踊る祭りらしいわよ……」
 
 いや、それはまったくのウソ情報なのだが、そんな偏見も手伝ってこの祭りは数年前まで地元住人にすらタブー視されていたという。そんなタブーを撃ち破る原動力となったのは、外国人観光客の招来ともうひとつ、なんと言っても「エリザベス神輿」の存在だろう。エリザベスというのは亀戸を中心に数カ所点在する女装クラブなのだが、そこの常連客が女装してピンク色の巨大なペニスをかたどった神輿をかつぐのだ。
 その掛け声も「でっかいマ〜ラ〜、か〜な〜ま〜ら〜」という異様なもので、荘厳というよりは率直すぎて威厳がありすぎる。しかしこのエリザベス神輿の人気は主催者側にとっては複雑な心境らしく、「気にくわないけど、これが一番、人を集めるんだよなぁ……」などというつぶやきも聞こえてきた。
 
 しかし結局、みんなチンチンが好きなのだ。境内に置いてある巨大なポコチンには老若男女が喜んでまたがり、若い女性は記念撮影してキャピキャピ(死語)はしゃいでいた。 さらに神社の境内では、「一家に一袋、職場に二袋、合わせて三袋、 明日会社で人気者だよ!」という売り言葉と共にポコチン型のキャンディーが売られている。内縁の妻がそれをエロティックにしゃぶっていると、外国人観光客が彼女に写真を撮らせてくれと声をかけてきた。こわばった表情の彼女にボクが「ベロでウラスジを舐め上げるように……」と妙にリアリティのある演技指導すると、外人はえらく喜びシャッターを切った。これも小さな国際交流である。こんな風に誰もがおおらかになれれば、きっとイラク戦争も近々終わるに違いない。
 
 そういえば去年はピエール瀧がCS放送の取材で来ていたが、今年は芸能人を見なかった。しかし確実に年々、観客の動員数は増えている。そのうちモザイク無しで夕方のニュースで流れるだろう。

 それはさておき。社務所の二階に資料室があり、天狗の鼻がペニスになったお面や、ひっくりかえすと下半身あらわなおかめの人形など、熱海の秘宝館ではおなじみのアイテムが陳列されている。そこにはボランティアの解説員が待機しているのだが、彼らはボランティアだけあって、あまりディープな話題で突っ込むと黙り込んでしまうのだった。ああ、この資料室の蔵書をむさぼるように読んでみたい。古い書物はかえってプレミアがつくので検索しやすいが、70年代後半から80年代辺りのゴマブックスなど卑猥な新書は、今となっては逆になかなか手に入らないだろう。自由が丘の西村文生堂でも見かけない本がたくさんあった。
 
 実を言うと、男根を祀るのはそう珍しい風習ではない。インドのリンガは男根崇拝だし、遠野をはじめとする東北ではコンセイサマといって男根が祀られている。都内では確かに珍しいが、新宿・花園神社の中にある「威成稲荷」で鳥居の上を見上げると、隠れキャラ的に巨大な木製のペニスが子宝・安産の守りとしてひっそり鎮座している。
 しかし他の祭りに比べて「かなまら祭り」の良さというのは、ひとえに「文化祭的な歴史の浅さ」にあるのだろうと思う。もともと金山神社はタタラなどの工業神であったものがやがて安産の神となり、現在ではエイズのお守りとして連想ゲーム的に進化した。ここには宗教が本来持つ移り気のはげしさみたいなものが反映されている。時代に迎合しすぎてもはや原型を留めていないのだ。それは例えば、偶像崇拝を禁じた原始仏教が今では大仏を祀っているように、宗教が本来もっているアバウトさの表れに違いない。