犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

出口王仁三郎の「人心掌握術」

 出口王仁三郎という人物は後世に残された膨大な量の資料に比べて、世間の彼に対するイメージがいまいち貧困過ぎる。
 僕らのイメージする出口王仁三郎、それは無邪気に日本神話のコスプレをしたり、木に登っている写真であり、時に村人を集めては猥談で場を沸かせ学者がやってくると途端に難しい話をしはじめたという二面性であり、着る物がないと困っている人がいると自分の着ていた衣服をそのまま脱いで渡してしまうという無頓着さであり、「いつも臭い思いをしていて可哀想だ」と言いながら尻をあらわに天に向けて月見をさせるなどの奇行である。
 これらの一般的には「天然」と呼ばれかねない奇行の数々も、実は人心掌握の為のパワープレイだったのだと理解すればわかりやすい。いうなれば、小倉優子のコリン星語りみたいなものだろう。初対面でおかしなことを言って、相手の注意を自分に引きつける。あとはみんなが驚いているうちにグイグイと相手の心の隙間に入り込む。
 
 実際の出口王仁三郎はどうもしたたかで戦略家だったらしい。たとえばきちんと神道を学び、短い期間ではあったが宮司を経験しているし、さまざまな民間宗教に入り込んではその知識を吸収している。王仁三郎が得意としていたのは「審神(さにわ)」といって神懸かった者に憑依している神の名を言い当てることだった。その代表例が出口ナオに降りた「艮(うしとら)の金神」である。彼は主に少女を霊媒として神を降ろし、神の言葉を翻訳することが出来た。まあ、現在の我々から見れば狂人のたわごとを自分に都合の良いように解釈し、御神託然と人々に触れ回っていたといような解釈もできなくはない。今のように薬事法や人道的な制限がなかった分、おそらく一昔前までの日本では“神懸かり”に対するノウハウというのが今以上に発達していたのだろう。つまり、人為的にトランス状態を引き起こし、人間を狂気の淵へと誘導する技が伝統的に受け継がれていたはずなのだ。そしてそのトランス状態による宗教的恍惚と快感こそが、多くの新興宗教が信者を獲得するための求心力になっていた。
 
 僕は実のところ宗教家としてよりも人間としての出口王仁三郎が好きなのだ。もっと言ってしまえば詐術師としての彼に興味がある。誤解されると困るので言っておくが、詐術の巧妙さは宗教家にとっては単なる基本スキルであって、聖性やカリスマ性とは切り離されて考えられるべきものだと僕は考えている。それは自己演出であり、魅せ方である。邪馬台国卑弥呼は「“鬼道”を事とし、能く衆を惑わす」と文献に残っているらしいが、奇術師は「鬼道」の部分を「トリック」と読み替える。宗教の売りは実のところ「神」ではなく、「精神的恍惚」という目に見えない部分にある。つまり一種の芸術家であり、本来ならばモーツァルト小室哲哉宮崎駿と同じ土俵で競い合うべき職業だと考えている。
 ならばネタをバラすのは営業妨害なんじゃないかと突っ込まれそうなところだが、仮に「精神的恍惚」を求めるならば、かえってそのノウハウを理解していた方がトリップしやすい。信仰心というのは宗教的恍惚のファクターではあるが、ほんの一部でしかない。本当に恍惚を引き寄せているのは光であり音であり匂いであり触覚などを含んだあらゆる感覚の複合である。だから演劇やレイヴにも神は舞い降りる。人間の心も体も、語感のすべてを駆使して自在に操作する「宗教」というものは何者にも勝る総合芸術に違いない。
 

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 残された文献から出口王仁三郎のテクニックをいくつか検証してみよう。まずは、共に大本教を開く出口ナオとの出会いの場面。ナオは明治27年、自分に降りてきた神様と因縁のある人物が現れると自動書記による「お筆先」で知る。そこで、京都の博覧会場への通り道に茶店をひらき、実の娘に待ち伏せさせる。そこに現れたのが後に王仁三郎と改名する喜三郎だった。その時の喜三郎のいで立ちは、陣羽織を着て歯に“おはぐろ”をつけ、手にはコウモリ傘とバスケットという、異様な風体だった。これは明らかに“誘いウケ”だ。奇抜な格好をしていれば、人は寄りつかない。しかしそれでもなお声を掛けてくるのであれば、すでに自分に対する何らかの興味が芽生えているはずで、すでに高いハードルをクリアして選別されているから普通の人々よりはいくらか騙しやすい。天性の詐欺師というのは常に身構えていて、相手の懐に潜り込んでは当意即妙で詐術を模索するものなのだ。それはリフォーム詐欺の手口と一緒だ。まずは無料の訪問点検を装って相手の家に上がり込み、水回りや耐震工事、白アリ駆除など、相手に合わせてカードを切り返す。それはそうと、すっかり喜三郎の出で立ちに心引かれた娘は、もしやこの人こそ神様に因縁のある方ではと直観し、ナオの筆先を喜三郎に見せる。そして、喜三郎はそこに書かれていたナオの住む綾部という土地に興味を示す。
「綾部という土地はどちらの方角であります?」
「ちょうどこの辺からですと、西北に当たります」
「ああそうですか。私は大阪におりましたら、神様がお指図に、“オマエは乾の筋に大変な神のご用があるから早く行け”と仰せられましたから、そのことでありますに違いないから行きましょう」
このやりとりは明らかに相手からそれとなく情報を引き出すコールドリーディングである。しかも、テクニック以前の話で、娘は自分から喜三郎に綾部の方角を教え、それに合わせて喜三郎は“神様のお指図”をでっちあげているとも取れる。偶然の一致を演じているが、実は喜三郎の方が相手の筆先に合わせているに過ぎない。
 
 また出口王仁三郎満州事変や第一次世界大戦、原爆の投下を予言したことでも有名だが、これは単に彼の世界情勢に対するアンテナ感度の高さともとれる。あるいは「予言」と言われている彼の読んだ歌自体が「ノストラダムスの大予言」と同じでかなり曖昧であり、時期に関してはほとんど濁している。
 彼は「三千世界の大峠」といういわゆるカタストロフィを予言していたが、その時期に関して神懸かった幹部が「10年後」と期日を断定してしまったことがあったが、それに関しても「まだまだ私の口から本当の時期は申し上げられませぬが」とやはり濁している。そして、実際に10年後、カタストロフィは起きなかった。ただ、この幹部に対する配慮なのか、10年後にカタストロフィが起きてしまった時の保険だったのか、幹部の発言も完全には否定しなかった。
 大川隆法あたりは十数年前から、日本の次は中国経済が飛躍的に成長すると言いつづけていた。これはおそらく海外情勢にほんの少しでも精通していればある程度は予測可能な範囲だったはずだ。まあ、予言と予測のボーダーラインは曖昧なところがあって、一説によると経済学者による株価予測の的中率はサイコロを振ってランダムに占うよりも低いらしい。しかし出口王仁三郎には実際、海外や軍部、政府筋に協力者が何人もいたという。 
 僕が出口王仁三郎に関するエピソードで最も心引かれるのが、蒙古における武勇伝なのだが、最近読んだ本によると少し僕の認識不足だった部分があった。第一次大本事件の後、王仁三郎の存在をもてあました政府が、王仁三郎を馬賊のはびこる蒙古へ国外追放した。後に合気道の道主となる植芝盛平を連れて蒙古へ渡り、案の定馬賊に囲まれ危うく一命を落としかけるのだが、そこで雨乞いの秘術を披露して彼らの心を鷲掴みにしてしまう。これはおそらく雨が降るまで祈り続けるという原始的なトリックだろう。いや、トリックでもなんでもなく、ただ根性あるのみという荒技だったのではないかと思う。
 そして馬賊を味方につけた王仁三郎は即席の軍隊を結成して関東軍を打ちのめし、凱旋帰国する…… 概要としては、ほぼその通りなのだが、どうももともと蒙古には支持者がいて、王仁三郎の蒙古入りは国外追放ではなく、事前の情報収集にもとづいた計画性のあるものであったらしい。しかも、政府の特務機関が後ろ盾についていたという噂もある。今も昔も政治と宗教というのは綿密に連携している。政府にとって都合が悪くなれば弾圧されるが、利用できるうちはかなり親密に打ち解けあっていたりもする。全盛期で700万人を越えると言われた信者数は政治家にとって使いやすいコマだったのだろう。
 
 さらに、もうひとつ面白いエピソードがある。
 王仁三郎は突然、信者たちをあつめて大規模な土木工事を命令した。それは教団の私有地内にある山の上に「竜宮の乙姫の池」を掘れというものだった。信者たちは「あんな高いところに池を掘ってどうするのだろう?」と首をかしげる
「先生、なんでこんなことをするんです」
「神さんがいわれるから掘るんじゃえい。とにかく掘ったらええんじゃ」
 そこは山の上なので水を供給するあてもない。ただ意味のなさそうな穴掘りを命令され、信者たちは半信半疑のまま掘り進める。しかし、ちょうど池が完成したころ綾部の町会議員や有力者が大本教を訪れた。防火用水工事で山から水を引くのだが、どうしても大本の中に水路を通さねばならないというのだ。結果的に池は、用水路から流し込まれた水で満たされた。
 この話をどうとらえるかは諸説あるだろう。神のお告げはこのことを予見していたのだとも思えるし、あるいは王仁三郎は用水路が引かれることを事前に知っていたとも考えられる。あるいは、ただ単にその土地の権力を掌握していた王仁三郎が気まぐれに掘らせた池に水を注ぐため、町会議員たちに圧力をかけて用水路計画そのものを仕掛けたのではないかという邪推もできる。
 
 全部後からのこじつけ理論だろうと言われると、確かにそうかも知れない。ただ、たとえ詐術だったとしても、出口王仁三郎という人物に対する興味は尽きないし、むしろ僕は彼を敬愛してやまない。
 
 この王仁三郎が駆使した詐術というのは脈々と後の新興宗教に受け継がれている点も忘れてはならない。あらゆる宗教は源を一つにする大本教の「万教同根」という思想は「幸福の科学」の教義そのものだし、そもそも若かりし頃の大川隆法が信仰していた「生長の家」の教祖・谷口正治大本教の幹部だった。宗派的にもまったく無関係で、教義を受け継いでいるわけでもないのだろうが、大本教がかかげた「地上楽園」や「みろくの世」という思想は、日蓮の「娑婆即寂光土」つまり来世や霊界よりも現世が大切だとする考え方と一致する。その流れで現世利益にこだわるフリーメイソン的なギルド制というのも秘密結社としてとらえるからうさんくさいが、ただ単に商売上の人間関係を重んじるという意味で考えれば至極まっとうだ。信者が三色の旗が表示された店で買い物したり、お互いに宗派の紋章をあしらったネクタイピンやキーホルダーを身につけることで暗黙のうちに仲間を見分けるなど、某政党の支持母体となっている教団のノウハウなどはまさに現世利益に直結する合理的なシステムを構築している。なぜ大本教が雪だるま式に信者を獲得したかといえば、信者が増えれば増えるほど商売上有利となり、権力の中枢へ潜り込むうえでも、立身出世のうえでも有利となったからだ。後の新興宗教団体がたどる道のりのインフラ整備に、出口王仁三郎は少なからず貢献している。あるいは、過去から連綿と受け継がれた各宗派のおいしい部分を抽出して後世に中継ぎしたとも言える。
 
 末端信者には見えてこない各宗派の経営上のノウハウというのは、実におもしろいと思う。