犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

山手線という名のメビウスの円環で…

プレアイドルというのは、いわばアイドル予備軍のことだ。事務所に所属して地道にライブなどを行い、アイドルになるためのキャリアを積んでいく。ライブにはファン、というよりアイドルの先物買いに取りつかれたマニアたちが群がってくる。(中略)プレアイドルたちはアイドルとしての疑似体験ができる。事務所的にも、ライブ活動だけでそこそこの商売にはなる。
 
『新MPEG最強インディーズ』2003年1月号 「薄消しクィーン名鑑」

 
 プレアイドルという言葉がある。それは、地平の果てに未来を喪失した少女たちの残像であり、進化の道を閉ざされたガラパゴス諸島に棲息する歌声を奪われし人魚たちの総称である。
 
 今朝、満員電車の山手線でロリータを発見した。ゴールデンウィーク真っ最中とはいえ朝の列車は、脂ギッシュな背広姿のオヤジと、レジャー気分の親子連れ、そして無神経に背中の荷物を背後の客に押しつけるバカップルの混在するタチの悪い変則的な通勤ラッシュが発生する。そんな阿鼻叫喚の地獄絵図をバックにロリータがたたずむ光景……。
 淡いブルーのドレスに白黒ストライプのニーソックス、白いリボンを頭にのせて文庫本を読んでいた。ゴスロリではなく、ピンクハウスでもなく、ディズニー映画が生みだした変色の「アリス」とでも呼ぶべきスタイルだった。うろ覚えだが、原作に挿入されたイラストのアリスはもともと黄色い服を着ていたはずだ。
 その光景をボクはどこかで見たようなデジャヴにおそわれ、ふと立ち止まった。 フラッシュバックしたのは、秋葉原の路上で見かけたプレアイドルを取材した時のことだった。
 
 取材した少女の名は葉桐あかね。白いドレスに天使の羽根をつけ、魔法のステッキを持ってラジカセの伴奏に合わせて歌っていた。その格好のまま、群馬の山奥から電車に乗って週末毎に秋葉原に通っているのだという話だった。その話を聞いた瞬間、ボクの脳内には、山中を走る閑散とした私鉄の座席にちょこんと腰掛けた魔法少女の姿が今さっき見てきた光景かのように広がり、ドーパミンにも似た脳内物質が分泌された。
 
 きれいなドレスと可愛いアイテムで完全武装しているのに、無防備なほど化粧っけがないところにも歪んだ愛情が芽生えた。まさに彼女は「違和感」という名の諸刃の剣で現実を切り裂く侵略者だった。
 
 マンガやアニメやゲームの世界から抜け出したような、その姿――
 まさに僕が葉桐あかねやロリータやゴスロリ、そして大多数の不思議少女に対して抱くシンパシーはそこにあり、「非現実の具現化」は文明が成熟する上での過渡期にこそ浮かび上がる現象である。「空想されたモノは実現する」、「夢は現実になる」という言葉がある。それは微妙に間違っていて、空想されなければ何も生まれない。空想されたモノがすべて具現化するわけではないが、空想もされなかったモノは現実としての実態を持ち得ない。そしてゴスロリは空想され、ロリータは空想され、ストリートという現実社会の狭間から侵入してきた。 たとえば少女は山手線という名のメビウスの円環の中をグルグルとどこにも辿りつけずに廻り続ける。彼女は進化の道を閉ざされた無精卵であり、不毛の大地に咲いたペンペン草であり、アスファルトに落ちたタンポポの綿毛であり、飛べないペンギンの翼である。