犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

オカルト消費

ワーキングプア死亡宣告』
山口敏太郎・巨椋修・犬山秋彦
晋遊舎・ブラック新書
11/22発売
http://www.shinyusha.co.jp/

まずはちょっと宣伝を…
11月10日に晋遊舎のブラック新書から『ワーキングプア死亡宣告』という新書が発売します。
山口敏太郎氏・巨椋修氏との共著です。
 
僕は
「第五章 高卒フリーターという生き方
「第六章 ロスジェネ世代の青春サヴァイバル」
「第七章 ワーキングプア大暗黒時代」
という3つの章を担当しました。
 
他の二人に比べると、僕の担当したパートは社会的に意義のある学術要素は少なく、気楽な読み物と言った感じです。七十数ページにわたる壮大な寝言ポエムといった感じでしょうか。でも実体験をまじえて、ワーキングプア潜在的に抱えている家族の問題など赤裸々に綴っています。
恥ずかしい話ですが、書いていたら昔のことを思い出して泣けてきました。
ケータイ小説みたいな感じで読んでもらえれば幸いです。
 
■ブログ妖怪王 - 『ワーキングプア死亡宣告』
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/e/8276023f458ef297f2ff0fee6689eb23
 

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今度出る新書でもちょっと触れたけど、汚染米問題の余波がまったく無関係な企業にまで及んでいる。
たとえばおつき合いのある食品メーカーには連日「おたくの商品は大丈夫なんでしょうね?」という問い合わせの電話が鳴り響き、営業に支障があるほどだという。
さらにクレームもそれにこじつけたものが増えているそうだ。
「商品に黒いカビのようなものが混入していた」というので検査したところ商品を加工するうえで発生する「焦げ」だった。
しかし検査結果を報告しても「そんなこと言って、わたしみたいに善良な消費者をまた騙そうとしてるんでしょう! あんた、汚染米を使ってるんじゃないの? そうよ、汚染米なんて使ってるからカビなんて生えるのよ!」と、とりつく島もない。
見た目も明らかにカビには見えないのだが、汚染米の報道をテレビで見た消費者にとっては仕方がないことなのだろう。
これまで積み上げてきた信頼があるので「おたくのは安心よね」と言って買ってくれるお客さんがいる一方で、疑心暗鬼になって買い控える人、ささいなことで汚染米に関連づけてクレームをつけてくる人など悪影響も大きく、先月の売り上げは1割ほど落ちたという。
このままでは、汚染米を購入していなかった全く無関係な企業まで連鎖倒産してしまうだろう。
 
明らかに現在の消費者の生活に対する過剰防衛は、異常かもしれない。
食に安全を求める一方で、やはり同時に安さを求めるので原料高なのに値下げせざるを得ないと言う。
そうなれば、結局イオンやセブンアンドアイホールディングスなどグローバルな大企業にしか現在の消費者のニーズには応えられない。
これまでは悪徳企業の悪事はいつかバレ、そのうち不正は正されると信じることができた。
だが、これからはマジメにやっていても一度疑われてしまえば弁解の余地もなく倒産に追い込まれてしまうかも知れない。
もはや、マジメにコツコツやっても悪徳企業と同じリスクを追わなければならないのなら、誰がマジメな商売などやっていこうと思うだろう?
 
しかし、この問題は今にはじまったことではなく、これまでは企業が利用してきたノウハウが反転して自分の身にアダをなした結果なのではないかと思う。
 
これまで消費者は一種のオカルトとして商品を購入してきた。
「オカルト」には「隠された」という意味がある。
消費者というのは、自分が何に対してお金を払っているのか理解していない。
隠蔽されたブラックボックスとして商品を購入している。
だから常に不安がつきまとう。
毒餃子事件やその他もろもろの頻発する偽装問題によって、いままで顕在化していなかった不安が噴出してしまったという感じだろう。
 
たとえば被害妄想の強いうちの父親など、パソコンの仕組みを理解していないのにパソコンを使っている。
パソコンの調子が悪くなるとすべてウィルスのせい、ストーカーのせいにしてしまう。
誰かが自分の部屋に侵入して、ウィルスを流し込んでいると信じているのだ。
いくら僕がパソコンの仕組みを説明しても、すべてストーカーの責任に転嫁してしまった方が理解しやすいため、その思い込みを払拭することができない。
 
この思い込みの激しさと理解しやすいものを信じてしまうという傾向から、人はオカルトにハマる。
これと同じことが紙一重で商売の中にも紛れ込んでいる。
一時期、みのもんたが『おもいっきりテレビ』や『あるある大辞典』で紹介した商品がバカ売れするという現象があった。ある特定の野菜が健康にいいと言われれば関連商品が売れ、納豆がダイエットに効くと言われれば売り切れになる始末だった。
マイナスイオンが良いと言われれば、科学的な検証もなしにドライヤーだとかエアコンだとか、何でもかんでもマイナスイオンがくっついてきた。
たとえ効果がなくても、消費者の勝手な思い込みに企業が便乗してきたのは間違いない。
これまで企業は消費者に対して知識を隠蔽することで売り上げを伸ばしてきたといっても過言ではない。
流通にしろ生産にしろ、消費者の知らないやり方を開発すればボロ儲けできた。
しかし、今の状況はどうやって企業と消費者が知識を共有するかというのが問題になってきている。
だが、どんなに説得しても消費者にとって商品がブラックボックスであるうちは、聞く耳を持たれないだろう。
 
企業は無知な消費者を大量に調教することで儲けてきたが、そのツケがどうやら回ってきたのかも知れない。
新自由主義的な競争というのは、一部のエリートが大多数のバカの上に君臨することで成り立ってきた側面がある。
バカが増えれば増えるほど、自分が頂点に立てる。
しかし、実は社会全体の民度が落ちれば、自分が君臨するはずだった基盤すらもろく崩れてしまいかねないのだ。
 
人間は常に進化しつづけ、文明も発達し続けると僕たちは信じてきた。
しかし、逆戻りすることだってあるんじゃないかというようなことを藤井厳喜という人が書いていた。
近代の次は現代で、その先があると我々は思っていたけれど、実はこれからは中世に逆戻りするんじゃないかというのだ。
 
最近、福沢諭吉の『学問のすすめ』なんかをパラパラと読み返したりする。
なんだかもう、人間は再び「近代化」からやり直さなければならなくなってきているような気がする。