犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

アンチクライスト

例えば、東京ディズニーランドシンデレラ城ミステリーツアー。あそこの案内役のお姉さん。「それじゃあ!! 私がこのツアーの案内しまーす!! ヨゥロッシックねぇ−−−−−!!」 表情は満面の笑顔&ピースです。「ヨゥロッシックねぇ−−−−−−!!」の力の入り具合が異常で、背筋に冷たい液が流れます。「な、何を言ってるのォ!! あっあっあー!!」 オマエ、何か悪いモンでも食ったんかい!? とにかく、シンデレラ城で一番怖いのはこの人です。
『女子の生きざま』 リリー・フランキー

 
 ネット上でよく「オレはひねくれ者だからディズニーなんて大嫌いだぜ!」みたいな発言を見かける。そういった思春期特有の勘違いを引きずったままその恥ずかしさに気づいていない人々を見ると、僕は微笑ましくなる。
 
 果たしてディズニーは最大公約数のニーズに応えているのか? ディズニーファンは体制側なのか? よく考えてみて欲しい。ディズニーランドは富士額のネズミを中心にした帝国主義だなんて声も聞くが、日本の象徴天皇制と同じであんなのは傀儡に過ぎない。事実、人気アトラクションに必ずしもあのネズミが出演しているわけでもない。むしろ、『ミッキーマウス・レビュー』のあの惨憺たる状況はどういうワケだ!?
 
 テレビでよく見かけるのは金があるからCMが打てるというだけの話で、本屋に行くとよく『幸福の科学』がキャンペーンしてるのと一緒だ。あれだけ本は売れているのに身近に会員は何人いる? ちなみに昔、知り合いがエキストラの仕事で東京ドームへ行ったら大川隆法のイベントだったなんて話もある。だいたい本を読んでもディズニーを誉めているのは講談社発行のガイドブックか、ディズニー商法を礼賛するビジネス書くらいなもので、あとはことごとくディズニーの悪口や批判で溢れかえっている。僕の周囲にもディズニーが好きだなどというキチガイよりも、紳士面した反ディズニー陣営の方が圧倒的に多い。もしもメジャーよりもマイナーな方がカッコいいというサブカル的な価値観で反ディズニーの標榜を掲げているならば、むしろ少数派である僕のようなディズニー崇拝者の方がよっぽどカッコいいに決まってる。
 
 僕は純然たるディズニーマニアだが、自分では『ウォルト原理主義』を名乗っている。ぶっちゃけミッキーもパレードもショーもアトラクションもどうでもいい。ウォルト・ディズニー萌えの知識オタクなので、彼の残像を求めてあらゆる情報を集めてはいるが、実際ディズニーランドへ遊びに行くのは年に一回、あるかないかだ。
 
 よく勘違いされるのだが、ディズニーランドは決して偽善ぶってはいない。むしろ「性善説」ではなく「性悪説」によってパークは運営されている。カストーディアルがホウキとチリトリを持ってゲストを追い回すのは、ゴミを散らかしたりタバコをポイ捨てすることが前提だからだし、危険な場所を極力柵で囲ったり尖った部分がゴム製のやわらかな素材でできているのも、ゲストを信用していないからだ。
 ゲストは罪と過ちを犯し続ける。しかしそれに対して罰ではなく、笑顔で応える。それがディズニー・フィロソフィーだ。これと対照的なのが『志摩スペイン村』で、ゲストの自由度は高いし清掃員もほとんどいない。子どもが高いところにのぼっていても注意されない。これはある意味、客を信用しきって「性善説」にのっとったパーク運営しているからだ。しかし、のびやかではあるが自己責任という問題がついてまわる。
 
 もうひとつウォルトに対する偏見として、かれがキリスト原理主義者でありよき家庭人であるという偽りのイメージがある。これがまた「ディズニー = 偽善ぶっててキモい」というイメージに拍車をかけている。たしかにディズニー家の祖先は敬虔なプロテスタント信者であったし、ディズニーアニメがハリウッドで好評を博した裏側には、過激な性描写と暴力に満ちた旧来の映画産業に眉をひそめた聖職者たちの支持があったからに他ならない。だが、他人の資金援助でしかも金儲けのために作らざるを得ないアニメと違い、初期のディズニーランド構想はウォルト自身のポケットマネーから出発している。むしろ誰の支持も受けられず、孤独に構想を積み重ね、アクロバティックな裏技で資金調達をしたあげく、たまたま大衆の支持を得るような巨大テーマパークに育ってしまったというのが実情だ。ならば映画よりもウォルトの真意はパークにこそ反映されている。
 
 見渡せばディズニーランドのどこにも十字架の装飾はないし、キリストも祀られていない。むしろ原始宗教的なアニミズムとオカルティズムに満ちている。『ホーンテッド・マンション』は降霊術をテーマにしているので悪魔崇拝の系譜をたどっているし、『魅惑のチキルーム』はポリネシアン諸島の神々をテーマに鳥が人間の言葉で歌いラストでは木や花までが歌い出すという原始宗教色の強いアトラクションになっている。そもそも物質に魂を与えるオーディオアニマトロニクスの技術などはまさにキリスト教の理念に反している。キリスト教文化圏で『鉄腕アトム』のような人間型のロボットが開発されないのは人間を創りたもうた神の意志にそむくという概念がいまだに根強いからだと言われている。
 
 そう考えてみると、ウォルトの崇拝するものはキリスト教などでないことは明らかだ。むしろ日本で言う「やおろずの神」に近い。ディズニーランドはたった一人の神を崇拝する「一神教」ではなく、多くの神々が仲良く暮らし時には争いを起こす「多神教」的な思想に基づいている。

 キリスト教一神教であるために、正統と異端の対立を生みやすい傾向がある。米国の振りかざす正義が一方的で暴力的なのもこの影響だろう。本来、偶像崇拝を許さぬキリスト教とが、ディズニーランドを許すはずはないのだ。仮にディズニーランドの提供するハピネスに笑顔で応えるキリシタンがいたとしたら、そいつは何もわかっていない大バカ者である。ディズニーはよくアメリカ文化の代表であるかの様に語られ、バッシングの対象となるが、これほどアメリカ文化にそぐわない遊園地も他にない。なんせウォルトは確信犯的な「アンチクライスト・スーパースター」なのだから。
 
 一説によると、ウォルトは不吉な数字「13」を好んでいたという。ミッキー・マウスの頭文字「M」がアルファベット順で13番目だったからだと言われているが、信仰心の篤い人々に対する皮肉のように思えてならない。
 
 僕はウォルトこそが世界でただ一人、殺人や戦争の罪を犯さなかった独裁者だと思っている。今の経営者は金の亡者かも知れないし、ウォルト本人はさぞかし偏屈な性格をしていたのだろうことは認める。しかし、他人を喜ばそうとポケットマネーで遊園地を作るような金持ちの酔狂ほど痛快なものはない。卑屈な貧乏人にはとうてい思いもおよばぬふところの広さと悪意を感じてならない。