犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

かなまら祭★宵宮

 

 

祭前日
宵宮 18:00〜18:20

「おぶっく」と呼ばれる陰陽の形をしたお供えがお米の粉で作られる。
 
http://tomuraya.co.jp/wakamiya.htm

 
神社の公式サイトにはこれしか説明書きがなかったんだけど、とりあえず行ってきた。いわゆる前夜祭みたいなもの。地元の人たちが集まって乱交パーティみたいなのするんじゃないかと下心丸出しで行ったんだけど、そんなわけもなく、すごくおごそかな神事だった。
 

境内には巫女さんや氏子にまじって観光客が数人。エリザベスの人たちも来てるかと思ったらいなかった。
 

桜がちょうど満開で、近所の人たちがコンロなんかを持ってきて花見をしてた。来年は宵宮で花見というのも良いなと思った。ちなみに写真は凛太郎。
 

なぜか神社の片隅に『少女革命ウテナ』にでも出てきそうなスポーツカーが。
これもチンポのメタファーなのか…
 

お宮(?)の中をのぞくと氏子の総代と関係者が列席のうえ、神事がはじまっていた。スピーチしたり祝詞をあげていたけど、外からだと聞こえなかった。残念。
 

外からシャッターを切るカメラマンたち。もちろん自分もこの中に……。海外の取材陣らしき3人組もいた。こんな地味な光景をえんえんとビデオに撮り続ける外人さんとか。あと、賽銭箱の前に直立して頭をさげつづける信心深いおじさんも。「とんまつり」とか奇祭として有名だけど、地元の人からはきちんと慕われてるんだなあというのがわかる。
 

炉とふいごのある新社殿に移動。火打ち石で炉に火を入れ、祝詞をあげて玉串を神前に供える儀式。
昔、晴明神社で厄払いしてもらった時にも思ったんだけど、祝詞って日本語だから意味がわかって面白い。一般的に「祓いたまえ、清めたまえ」しか有名じゃないけど、「オスの榊をたてまつり」って部分があって、これはチンポの意味かなあと邪推してしまった。なんでもチンポに結びつけるところが小学生レベルなんだけど。あと、「罪深さを恥じ」みたいなセンテンスがあって驚いた。なんかキリスト教っぽいというか、神道でもそういうこと言うのかと。
 
ちなみにこの時、宮司さんが参拝客のお祓いもしてくれた。
一番前で写真撮ったり祝詞を聞いていたせいか、なぜか僕が参拝客代表として新社殿で玉串を奉る役に抜擢されてしまった。巫女さんから榊をもらって時計回りに神前にそなえるみたいな様式があって、ちょっとどぎまぎしてしまった。
 

なんで炉があるのかというと、もともと金山彦神金山姫神っていうのが子供を産むときの苦しみから下半身を火傷して嘔吐し、その吐瀉物が鉱石の元になったというような神話があって、そこから鍛冶や鉱山の神様として祀られる一方、子孫繁栄や下半身に関する祈願の集まる神社になったらしい。

祝詞にも「小金・白銀をたてまつり」という部分があったし、けっこう川崎製鉄とかその辺の企業がお参りに来ているらしい。
 

いつも外からのぞいていたのだけど、使っているところを見て初めてコレがふいごであることに気がついた。視覚・聴覚・嗅覚を刺激するので、火を焚くのって宗教儀式には欠かせないんだけど、こういう神事の中にディズニーとかのエンターテイメントショーの源流を見ることが出来ると思う。

このあと、宮司さんのスピーチがあって、このかなまら祭りというのは不況や飢饉で人々が苦しんでいる時、大自然の中に遍在するタケノコなどの芽吹く力などを借りて吹き飛ばそうというのがそもそものはじまりであり、世界平和と愛を象徴する祭りなのです、みたいなことを言っていた。

ちなみに宮司さんは女性だった。新社殿を出るとき凛太郎を抱いている妻に気づいて、「あら、赤ちゃんかと思ったら犬だったのね」と声をかけられたらしい。
 

地元の氏子や県の職員、議員なんかが集まって桜の下で宴を催していた。参拝客にもベンチが用意されたり酒がふるまわれ、なかなか親切だった。
 

みんなが席に着くと神楽がはじまった。まずは獅子が舞い、やがて面をかぶった男が登場する。男は妻とおぼしき女を呼び、舞がはじまる。まずは男が鈴を打ち鳴らしひとりで舞い、次に女が続く。一方が一人で舞っているあいだにも、踊っていない方はコミカルに鼻をすする仕草をして着物でぬぐったりと芸が細かくて飽きなかった。
やがて二人の男女は杯を酌み交わす。その様子からすると、どうやら新婚夫婦らしいことがわかる。女は「ちょっとだけよ」と言いながら、すすめられるままにグイグイ飲み干す。やがて酔いがまわって二人で向かいあって踊り出す。しかしタイミングが合わず鼻がしらをぶつけたり、与太ついてうまくいかない。おそらく初夜のおぼつかない様子を踊りで表現しているのだろう。やがて男は近くでおとなしくしていた獅子に声をかける。この獅子はたぶん男性器のメタファーで、男と女が一生懸命突いたり叩いたりしてもなかなか奮い立とうとしない。夫婦が協力して獅子をなだめすかすと、ようやく立ち上がり、獅子舞がはじまる。獅子は荒々しく踊り、やがてラストで下から子供が獅子を脱いで勢いよく顔を出す。これまたおそらく、射精と子宝に恵まれましたという意味合いを含めているに違いない。
今まで興味がなかったので理解しようとすらしてこなかったが、神楽もきちんと最初から最後まで観れば意味がわかるものだなあと感心した。

昼間のかなまら祭りも賑やかでいいんだけど、宵宮もなかなか渋くて良かった。なにより地元の人たちの愛が感じられる。
 

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金山神社の近くにある「ごりやく通り」商店街も小さいながらもけっこう頑張っていて、肉屋はコロッケ茶屋と称して店頭にベンチとテーブルを置いてその場で揚げたてのコロッケが食べられるようになっているし、新しくできたパン屋はパンを焼くところを一種のエンターテイメントとして客から見えるように配慮してあるし、酒屋とか居酒屋もディスプレイに凝っていて面白かった。
 
ジャスコがあるから商店街に人が来ないとひねくれたり、行政に頼り切っておんぶに抱っこみたいな感じじゃなく、本当はこういう各個店の営業努力からはじめないと何も変わらないのになあとつくづく感じた。
 
日頃のお客さんに対するサービスはもちろんのこと、せっかく来る観光客もきちんと取り込めている。まあ、普通はそういう観光資源すらないから苦戦するんだけど、この「ごりやく通り」だってもともとは川崎大師とは真逆に位置しているわけだし、実は「かなまら祭り」って復活してからまだほんの数年だった気が。チンポとかエリザベス神輿ですごくイロモノ扱いされがちなんだけど、そういうせっかくあるものを活かして頑張ってる部分にすごく好感がもてた。
 
ひねくれないで、利用できるものは利用すればいい。
誰かが得すると自分が損するとか、そういう発想じゃなく、みんなで盛り上がればみんなで儲かるじゃんていうことになんでみんな気づけないかなあ。
 
実はジャスコとかアリオってマニュアル通りで個性がないとかって思われがちだけど、そういうトップダウン方式でひとりひとりの店員がまんべんなくサービス精神を持つ(あるいは持たされる)って客の側にとっては悪い事じゃなく、徹底すればどんなにやる気のないバイトでも不快感を感じない程度には上げ底できるはずのものだったりする。むしろ人間てマニュアルもなくのんべんだらりと好き勝手にやっていたらどんどん腐っていく。それに、サービスとか個性ってマニュアルの上に付け加えることでグッと味が出るものだし。マニュアルって言うと人間味がなくなるけど、先人が苦労して積み上げてきた商売上のノウハウだから、知ってて損することってあまりないはずなんだよな。
 
何はともあれ、自分に利益をもたらすものを信仰するっていうのは間違っていないと思う。