クソダサいと非難されても「高輪ゲートウェイ」が撤回されない理由
◆95.8%が高輪ゲートウェイに反対
Jタウンネットのアンケートによると95.8%の人々が、
JR山手線の新駅『高輪ゲートウェイ』に反対なのだという。
なるほど、SNSで検索すれば否定的な意見ばかりだし、
芸能人や文化人、果ては鉄道ジャーナリストや
国語辞典を編纂している先生方まで猛反対している。
あげくの果てには、駅名を撤回せよという署名活動まで始まり、
およそ5万名の同意が得られたと話題になった。
否定的な意見をまとめると、
「名前がダサい」と「公募の順位を無視するなんて公募の意味がない」の
2つに要約される。
◆読解力の低下か? ミスリードか?
高輪ゲートウェイというネーミングをダサいと感じるのは
個人の感想なので、とくに異論はない。
指摘したいのは「公募の意味がない」という意見である。
この言葉に続くのはたいてい
「最初から名前の決まっていた出来レースだったに違いない」
「JRの偉いやつがゴリ推ししたに違いない」という憶測や妄想である。
これらの意見は「公募」という言葉の意味を理解していないがゆえに生じる誤解だ。
公募と投票を混同している。
批判している人々は今回の公募を「人気投票」や「アンケート」と勘違いしているが、本来「公募」という言葉にそのような意味合いはない。
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20180604.pdf
これは新駅の名前を公募した際のPDFだが、
「応募数による決定ではない」と表記されていることから、
新駅にふさわしい名前のアイディア募集であることがわかる。
人気投票やアンケートなら、はじめに選択肢が示され、そこから選ぶようになっていたはずだ。たとえば『ゆるキャラグランプリ』などのように。
しかし、これは応募者の考えた名前を投稿するように指示されている。
人気ランキングではなく、アイディアの募集なので「高輪」や「芝浦」のように応募数の多かった名前が選ばれるはずはない。
それはつまり、誰でも思いつくような当たり前で平凡な名前でしかないからだ。
駅は公共の施設なのだから独創性などいらない、もっとシンプルであらねばならないという意見もごもっともだが、公募の時点でJR側はそのようなネーミングを求めていなかったのだ。
もっとわかりやすく言うなら、名前ではなくこれが仮にキャラクターの募集だったらどうだろう?
似たようなイラスト、たとえば誰もが知っているアンパンマンやピカチュウのようなキャラが多数送られてきたら、それが採用されるだろうか?
今回はネーミングの募集だったので似たような発想の方が36名いたが、ふつうの公募だったら当選者は1名に絞られるはずだ。
このように「公募」と「投票」では意味合いが違う。
では、なぜ国語を編纂する学者先生までもが今回の件で「公募」と「投票」の意味合いを混同してしまったのか?
それはJR側にも批難されるべきところがある。
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20181201.pdf
名前発表の時、応募数を人気ランキングであるかのように順位をつけてしまったからだ。これではメディア各社が誤解しても仕方ない。
今回の炎上騒動は、JR側のプレスリリースや記者会見での情報の出し方により、報道メディアがミスリードされてしまったのが原因だろう。
◆高輪ゲートウェイは出来レースか?
上記は「「高輪ゲートウェイ」という駅名を撤回してください」という署名活動からの引用だが、
高輪ゲートウェイ反対派が抱く憎悪の根源は、権力者から強引にクソダサい名前を押しつけられたという怒りであり、「権力者」という仮想敵に対する怒りである。
しかし、そもそも公募は投票ではないのだから「公募の意味がない」という意見は誤解だ。
さらに最初から高輪ゲートウェイに決まっていたという出来レース説も、
偉いやつが勝手に決めたにちがいないという説も、憶測や妄想の域を出ない。
それにも関わらず、マスコミは高輪ゲートウェイを取り上げる時はこのふたつの意見を、あたかも既成事実であるかのように語り、視聴者を煽り続けている。
あげくの果てに、「高輪ゲートウェイに応募した36人など実在するのだろうか?」
「実は全員、JR職員や家族だったのではないか?」
中には「高輪」と「ゲートウェイ」という言葉を組み合わせるなどという発想は天文学的確率であり得ないなどという珍説まで飛び出すありさま。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54878?page=3
憶測や妄想を補強するための理由を、必死に探しているようだ。
◆デマを流し続けるマスコミのあやまち
一般人が「公募」の意味を理解できず、
間違った認識によって高輪ゲートウェイを叩き続けるのは仕方ない。
僕自身は学生時代から『公募ガイド』を愛読していて、
文芸やネーミング募集に応募していた経験があるし、
今回の新駅の名前募集にも応募したので、内容は理解しやすかった。
しかし、公募というものに馴染みのない人々にはちょっと難しいだろう。
そもそも一般人がマスコミの言動を鵜呑みにするのも仕方ないし、
それが事実であるかどうかを検証するほどのリテラシーを持ち合わせないことも罪ではない。みんな、そんなにヒマではないのだから。
しかしマスコミは違う。
報道は事実確認や検証が仕事のはずだし「公募の選定方法が不透明だ」というのなら、きちんと取材して明らかにすればいい。
ネットニュースには校閲などつかないだろうから、個人の憶測や妄想が垂れ流されるのも仕方ないと思うが、あるていど名の知れた出版社の週刊誌やニュース番組なら、情報発信する側としての責任があるはずなので、無責任で根拠薄弱な発言には修正が入るはずだと思うのだが、今のところ公募と投票の混同すらきちんと訂正された報道を見たことがない。
ほとんどのテレビ・ラジオ・雑誌が間違ったまま報道しているので、ここで例に出すのも可哀そうだが、とりあえず目についたので一例として提示しておく。
完全に、公募と投票の区別がついていない。
僕自身、5年前から「新駅開業太郎」という新駅に便乗するためのキャラを勝手にデザインして、多少なりとも新駅に関する情報は集め続けてきたし、今回の騒動でも「高輪ゲートウェイ太郎」 として取材を受ける立場なので、マスコミの内情も多少はわかる。
全員が誤解しているわけではなく、取材している記者たちの中にはきちんと理解している人たちも存在している。しかし、報道される段階になると、必ずと言っていいほど「公募を無視したため批難の声があがっている」という内容にすり替わってしまう。
それも無理からぬこととわかっている。
視聴率をとるには視聴者目線や庶民感覚にすり寄って「共感」される必要がある。
結果、それがバズることになる。
しかし、ネットニュースや情報バラエティならともかく、報道番組でそれをやっていいのか?
タレントの不倫や政治家の汚職は暴くのに、たかが新駅の公募がきちんと行われたかどうかという程度のことは検証なしに憶測で情報を垂れ流している。
日本には推定無罪というのがある。疑わしきは罰せず。
高輪ゲートウェイのネーミング決定に不正があったかどうか検証もせずに、流言飛語のたぐいを垂れ流すということはデマを垂れ流しているのと同様で、これは名誉棄損と受け取られ兼ねない。
おそらく企業イメージが悪くなるのでJR側は訴訟などしないだろうが、もし仮に公募はきちんと行われていたということが立証されたら、これはマスコミの不祥事ということにはならないのだろうか?
高輪ゲートウェイに反対している人たちの根拠の中核をなす「公募を無視した」というのが単なる誤解であり、公募というシステムによって正しく駅名が選定されたのであれば、たとえ署名が1億人くらい集まったとしても撤回する必要はないだろう。
そもそも駅名に日本語としての美しさだとか、歴史的背景だとかを重視する反対派の方たちは、「公募」という日本語を誤用している時点で説得力を失っていることに気づいた方がいい。
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言いたいことは以上だが、
ここからはなぜ他の駅名ではダメだったのか?
なぜ高輪ゲートウェイが選ばれたのかという考察を、過去に作成したNAVERまとめなども交えてつらつらと書き連ねたい。
思いついたことを適当に書くので、たまに追記などするかも知れない。
◆高輪ゲートウェイに応募した36人は実在するのか?
出来レース説の根拠に、高輪ゲートウェイに応募した人数が少なすぎるというものがある。中には、実在するのかという意見も見かけた。
しかし僕はSNSを検索していて、真偽はともかく実際に自分が応募したという人を見かけたし、ここまで叩かれて戸惑ったり傷ついている人もいた。
高輪ゲートウェイの「大木戸」や「玄関口」、「通信端末のゲートウェイ」など、ネーミングの由来がごちゃごちゃしててわかりにくいという意見もあるが、正直、そのごちゃごちゃした感じにこそ、むしろ広告代理店などでは思いつかない人間臭さを僕は感じる。
公募に応募する時、ネーミングの由来を記入する欄があったのだが、36人それぞれの由来を組み合わせてまとめたものだからこそのわかりにくさだったのではないか。
◆路線図や駅名票のデザイン問題
たしかに僕自身、はじめて「高輪ゲートウェイ」の記者会見を見た時、「長いな」とか「路線図にどうやって入れるんだろう?」などの疑問は抱いた。
しかし、反対派のようにそれが怒りに転じることはなかった。
むしろ、こんな難問、どうやって解決するんだろう? という興味を抱いた。
デザイナー泣かせの駅名だという意見もあったが、デザイナー全員が路線図をデザインさせられるわけでもないし、路線図を変更するのにシールでは無理だから莫大な経費が掛かる。だから今からでも遅くないから駅名を撤回しろという意見も見た。
しかし、JR東日本は行政機関ではなく一民間企業である。
路線図の改訂に我々の血税が投入されるわけでもなく、むしろ莫大な予算が必要なのであればJR東日本の自業自得であって、怒りの矛先を向けたり、駅名撤回の理由として挙げるにはどうも的外れな気がしてならない。
◆商標登録の問題
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20180604.pdf
これは駅名募集時の記述だが、僕がもっとも注目しているのはこれだったりする。
「高輪」や「芝浦」など、単なる地名では一般名詞として商標登録することができない。
街と駅を連携させたプロジェクトなので、初期の段階から商標登録を前提にしていたのだろう。
実際に現在、商標登録を申請中らしいので、そうなると「高輪ゲートウェイ」という名称を使用する際の条件などはどうなるのか?
すでに高輪ゲートウェイを名乗るホテルも実在するし、近隣のマンションの名前に使用されることもあるだろう。
京急の泉岳寺駅が作られた時、泉岳寺が訴訟を起こしたのも、駅名に使用されると近隣のマンションに泉岳寺の名前が使われてしまう。そうなれば泉岳寺が利益のために経営していると誤解されるのではないかという心配からだった。
舞浜駅が東京ディズニーランド駅にならなかったのも同様で、駅前にパチンコ店ができたら「東京ディズニーランド駅前店」という名前を使用されてしまうかも知れないという恐れからだった。
利益を囲い込むために商標登録する場合もあるが、駅名が悪用された時に法的に対処するために取るという意味合いもあるだろう。
僕も高輪ゲートウェイ太郎をキャラに名乗らせているので、ぜひともそのあたり、大目にみてもらいたいという気持ちは強い。
◆新駅は必要か?
むしろ庶民感覚からしたら、駅名の是非よりこっちの方が炎上しかねないのではないかと危惧していた。
僕自身は新駅賛成派だが、新駅ができることでサラリーマンなどは通勤時間が数分、延びてしまう人も多いだろう。乗り換えの時など、その数分がけっこう大きく響いたりもする。
また、不要になった車両センターの土地が余ったから新駅を中心とした街を開発するのであって、新駅開業の目的は近隣の順民の交通の便を良くするためとか、そういったものではない。
むしろ駅ナカが充実することによって駅周辺が廃れるなんて話もずいぶん前から危惧されてきたことだ。
あくまでも僕は賛成派なので、高輪ゲートウェイ否定派の皆さんには知られたくないが、批判するなら駅名よりこっちなんじゃないかという気はする。
ただ、新駅開業の情報はもう5年以上前からずっと報道され続けてきたのだから、今さら反対されても… とは思う。
◆ゲームのルールを変えて得するのは誰か?
高輪ゲートウェイ否定派は撤回して「高輪にしろ」とか「芝浜にしろ」などと声高に訴えるが、公募を人気投票と勘違いして「公募した意味がない」と言っていた人間が、投票だの票数だのルールだのを無視して、自分の意見をゴリ押ししようとするのはどうなんだろう?
仮にこれが人気投票だったとしても1位の高輪ですら全投票の1割ていど。それを民意と呼べるのか?
しかも、高輪はもともと地元商店街の人たちが希望していた名称で、事前に署名活動まで行っている。それこそ、みんなが『ゆるキャラグランプリ』の時に批難した組織票なのでは…。
いや、べつに商店街の人たちを批難しているのではなく、公募の選考方法が不透明だと主張するのであれば、批難する側こそ騒動に乗じて自分の願望をゴリ押しで実現させるような真似はすべきではないのではないだろうか。
あと、芝浜って言っとけばセンスありそうに見えるという風潮もいかがなものかと思う。実在する芝浜はぜんぜん別の場所だし、歴史的背景をきちんと検証するなら、そもそも高輪ゲートウェイの住所は高輪ではなく港南だし、埋立地だから元は海でしかない。
こうして重箱の隅をつつくように否定派の意見にツッコミをいれても切りがないので、とりあえず高輪ゲートウェイに対して怒りが収まらないという方は毎年コミケシーズンに大崎で『大崎コミックシェルター』という便乗イベントをやっているので来てください。