犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

本当は怖いポニョの都市伝説

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誤解が多いので、ポニョ関連の記事をまとめました。
一番お勧めは「ヤンキー回帰としてのポニョ」です。
監督がなぜ、こんな珍妙な映画を作ったのか、理解しやすくなるのでは…
 
リアルライブ版『本当は怖いポニョの都市伝説』
http://npn.co.jp/article/detail/00885423/
 
本当は怖いポニョの都市伝説
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080803
 
本当はあまり怖くないポニョの都市伝説
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080805
 
崖の上のポニョ
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080816
 
★ヤンキー回帰としてのポニョ
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080817
 
ポニョと漱石
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080818
 
ポニョとルナティック
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080819
 
オレはポニョが好きだ
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080914
 
ポニョの正体はユメナマコ?
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20080925
 
ポニョと漱石、その後
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20081027
 
ポニョまとめ
http://d.hatena.ne.jp/dog-planet/20100202
 

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※ネタばれ注意
 
崖の上のポニョ』を観てきた。
前評判が悪いので、どんだけ酷いものを見せられるのかとワクワクして行ったら、エログロナンセンスレイプ・ファンタジーで普通に面白かった。
 
あの画風は確かに見た目が華やかだったらとりあえずOKなブルーレイ時代に逆行してるし、内容も子供向けというより孫がいたりペットを飼ってる中高年向けで「ああ、子供ってこんなだよね」「犬って、こんなだから可愛いんだよね」みたいな可愛いしぐさに癒される映画なんだろうけど、実際のところファミリー向けには仕上がってないところが問題なのかもしれない。そういう意味で、「正しい情報を伝えられた上での合意」というイフォームド・コンセントが足りない。まあ、広告というのは大抵そういうものだし、カルトな映画をさもデート映画やファミリー映画かのように吹聴するのは映画業界の常套手段で、そもそも『もののけ姫』を親子で観に行く感覚というのが理解できなかった。みんな「わー、絵がキレイだね〜」程度の喜び方で、実はこれまでのジブリ作品は画面の華やかさに騙されてみんな目を開いたまま寝てただけなんじゃないかという気もする。実際、劇場で隣に座ったオバサン4人組は、「あんまり難しいこと考えないで観られる映画がいいわよね〜」と上映前にしゃべっていて、上映中は案の定寝てしまっていた。まあ、ネット上で文句言ってる人たちはケータイ小説読んで、「こんなの小説じゃねえ!」と憤ってるようなものなんだけど、実際ジブリ商法というのは「ファミリー向け」とか「品格のある作品」みたいな2つのウソを上塗りしながらこれまでも興行成績を伸ばしてきたわけだから、それがバレたら怒る人がいても無理はない。
 
昔、海底王国に仕えていたこともあるので海が題材になっているだけで評価が3割り増しになってしまうというのはあるけれど、それを差し引いても「珍奇なものが見たい!」という眼球の欲望をかなえてくれる作品だったと思う。ディズニーランドにしてもノイシュヴァンシュタイン城にしても、珍寺やSFにしても、結局は自分のアタマの中には存在しない想像を超えた風景に出会うことが喜びなんじゃないかと思う。ドラクエの喜びだって新しい敵に出会ったり、新しい街やダンジョンに入る瞬間だったりする。ケミカル系のドラッグに頼ったって、自分のアタマの中に存在する以上の幻覚というのは現れないわけで、よくルイス・キャロルウォルト・ディズニーはドラッグをやっていたに違いないというけれど、幻覚アタマでフラフラしたアーパー野郎だったらあそこまで破天荒な世界にたどりつけない。*1
 
宗介というのは、母親の情緒があまりに不安定だからアダルト・チルドレンになってしまった『クレヨンしんちゃん』なのだろう。宗介が両親を名前で呼び捨てにするのも、宮崎駿が左翼だからじゃなくて、『クレヨンしんちゃん』が描く今時の親子関係みたいなものを踏襲してるだけで。あの家庭は、理想の父や母ではなく、人格的に破綻した*2ドキュンが昔ながらの姿ではないにしろ辛うじて「家族」という体裁を保っている姿であり、子供のために滅私奉公な親じゃなくて、親だってエゴ剥き出しに生きてるんだという姿を描いている。
ポニョとフジモトの関係にしても、父親が娘に理想的な生き方を求めるんだけど反発されて、理想や正しさの押しつけも結局は親のエゴなんじゃないかってふと気づいて子供のエゴに根負けするっていう、教訓もなければ何のメッセージ性もないアンモラルな終わり方をしている。どう考えてもあれは娘が「できちゃった婚」した父親の物語であって、あのハッピーエンドの後には「こいつら本当に大丈夫か?」という未来しか待っていない。*3
 
そういえば本筋と関係ないけど、宗介が「ポニョ、ローソクおっきくして!」という場面があって、あまりのエロさにびっくりしてしまった。これは絶対にエロ同人誌が出る。フロイト寺山修司じゃなくても、蝋燭=ペニスのメタファーと解釈するだろう。パンフレットにもちょっと名前が出てくるけれど、小川未明の童話に『赤い蝋燭と人魚』というのがあって、寺山修司がこの話を「蝋燭=ペニス」「赤=生理の血」という解釈で読み解くエッセイがある。そう考えると、ポンポン船の振動はセックスの象徴で、欲望に忠実なポニョが騎乗位で宗介をリードしているわけだ。さらに眠ってしまうポニョはオーガズムや妊娠を連想させる。
しかし、ここまで妄想してふと速水健朗さん(id:gotanda6)が『ケータイ小説的。』で指摘している、DV男ほどすぐに結婚したがるという定義を思い出してしまった。やばい……まさか宗介が? とてもそんな風には見えないんだけど。そう解釈すると、かつて関係を持っていたのであろうクミコちゃんやカレンちゃんに対する冷たい態度も、まるでケータイ小説に登場する彼氏のようだ。
 
まあ、そういう勝手解釈をどんどん追求していけば、『ポニョ』の都市伝説が広まるのも時間の問題だろう。「本当は怖いトトロ」みたいなもので、本当は津波で全員死んでましたみたいな。父親だって船の墓場に一度はたどりついている。あれは、観音様(グランマンマーレ)に救出されたのではなく、迷える魂が成仏しただけなんじゃないだろうか。老人ホームの老婆たちは動かなかった足が自由になっているし、大漁旗をはためかせた船団を見た宗介が「おまつりみたいだ」みたいなことを言うシーンも意味深に見えてくる。水没した町やそこを漂う古代生物、水中で呼吸できても不思議に思わない人々……そういえばあれだ、宗介の母親が「今は不思議なことがいっぱい起こってるけど、きっとあとでわかるから」みたいなことを嵐の中帰宅して人間になったポニョと出会った直後に言っている。何かの伏線かと思っていたら、べつにその後なにも説明がなかった。つまり不思議なことが起こるのは、『銀河鉄道の夜』みたく死んでいるからと解釈するのがわかりやすい。死んでいることに気づいてない我が子を気遣って、今は黙っているのかも知れない。さらに途中で出会う赤ん坊連れの夫婦も違和感がある。もしかすると、彼らだけまだ辛うじて生きているのかも知れない。記憶が曖昧だけど「(山の上ホテルに)後からわたしたちも行きます」みたいなことを言っていたような。しかも赤ん坊は終始不満そうな顔をしていたし、ポニョがお母さんにスープをあげるシーンも意味深だ。もしかすると母親は妊婦で、赤ん坊はまだ腹の中にいるのかも知れない。母親を救えば同時に赤ん坊も助かる。ってことは、お父さんだけ死んでしまうのか……。そもそもかつて人間であり科学者だったフジモトが魔法使いになるって、海で死んでグランマンマーレ(海神・わだつみ)とひとつになったからじゃないのか? 何はともあれ、どんなに妄想たくましくしても、岡田斗司夫の「宮さんはそこまで考えてやってない」の一言で、すべて吹き飛んでしまうんだけれど……
 
とりあえず「願望充足」という意味では、さまざまな欲求を満たしてくれるアンモラルな映画だったんじゃないかと思う。*4
ポニョにおける「願望充足」やサプリメントとしての感動として最たるものは、ラストで宗介が叫ぶ「サカナのポニョも、半漁人のポニョも、人間のポニョも好き」というセリフだろう。それはもはや現実世界にはありえないファンタジーであり、あそこまで徹底した「無条件の愛」なんて、残念ながら新興宗教が語る理想世界にしか存在しない。昔新興宗教の勧誘を受けた時、ブサイクな女の子が「人間が無条件に愛されるのは赤ちゃんの時くらいでしょ」と語っていて、ものすごく説得力があった。実はこの辺りの諦観は、今回主題歌を歌っているまりちゃんズの裏テーマだったんじゃないかと思う。まあ、「世界に一つだけの花」なんかもそうだけど、愛というのはこの世にありえないからこそ美しいわけで、そういうこの世にありえないものを描けるのがアニメという手法のいいところだ。

*1:そういえばフジモトは『海底2万マイル』に出てくるノーチラス号の船員らしいので、ディズニーシーのミステリアスアイランドとマーメイドラグーンの間あたりにポニョのアトラクション作ればいいのにと思った。ジブリ作品のアメリカでの興行権はディズニーが持ってるんだし。

*2:外面はいいけど、家に帰ると情緒不安定という意味で

*3:これ、何かに似てるなあと思ったら富野由悠季監督の『キングゲイナー』に似ている。シベリア鉄道という巨大な政府と企業の癒着したような機関が用意したドーム型の計画都市があって、都市同士を行き来するにはシベリア鉄道が利権を持っている線路と鉄道を使うしかないという管理社会に不満を持った人たちが、線路のない不毛の荒野へ脱出するという話だった。これは今にして思うと「鉄道と規制緩和ファスト風土」という新自由主義的な話だったんだなと思う。理想や正義や計画性というしがらみを全部はねのけて、とりあえず未来のことは考えず、今はひたすら陽気に楽しくモンキーダンスを踊り続けるというキングゲイナーのラストは、皮肉なのか無自覚なのかよくわからないが、今の世の中をぐるりと見渡すとどうやらゲイナーたちのエクソダスは失敗に終わったようだなというのだけは確かだ。ただ、そこを描かないのがファンタジーであり、ポニョもそういった意味では間違いなくファンタジーだ。

*4:現実世界で満たされない願望を、せめてアニメや空想の中ではかなえたいという気持ちが人間にはあるわけで、何か教条的なもの、ためになる教訓めいたものをアニメに求めるのは前提からして間違っている。アニメに学べる部分はあるにしろ、アニメは学ぶためのツールではない。本当に「学び」を求めているなら、アニメやマンガばっかり観てないで、もっと別の本を読んだ方が手っ取り早い。批判的なこと書いてる人たちはちょっと、ジブリ作品に高度なものを期待しすぎだろ。まあ、批評というのは二次創作みたいなもので、映画料金1800円の中には「作品を見て批評する」という楽しみも含まれてるのだろうから、べつに個人の自由でいいんだけど。