犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

ケータイ小説研究1

 新聞の記事で「ケータイ小説が124万部」みたいなのを見かけてから注目してるんだけど、ここしばらく観察してみていろいろわかった。まずターゲットは本を読むとアタマが痛くなってしまう10代の女の子。本は苦手だけど、携帯メールくらいは打つので、短いセンテンスの文章には親しみがある。
 ドキュン、ヤンキー、ツッパリ、ギャル……いろいろな言い方があるけどつまりターゲットは昔ながらの低偏差値な不良少女なわけで、ディズニーランドの最大ボリューム層と一致する。
 
まずはケータイ小説の黄金律みたいなものがありそうなので、まとめてみた。

ケータイ小説の黄金律
 
・主人公は中高生の女の子。主語は一人称。
(メインターゲット層が主人公に感情移入しやすいように)
 
・古典的な少女マンガのような展開をほぼ踏襲
(男女が廊下でぶつかってケンカしたり)
 
・男性の萌えシチュエーションを逆視点から語る
(ドSな御主人様のもとでメイドになったり)
 
・甘エロという名のラブシーンは必須
(いきなりキスされる、いきなり抱きしめられるなど)
 
・主人公は複数の男性に次々と告白される
ときメモガールズサイド的な展開? やったことないけど)
 
・1頁につき200〜300文字
(設定上は1頁1000文字まで表示可能)
 
・1頁単位で繰り返される急展開
(連載漫画の「次号へ続く」みたいなのが延々と続く。井上脚本における「水落ち」、「多段ミサイル打ち」みたいな感じ。)
 
・改行もまた演出のひとつ
(一行書いては、2,3行あいだを置いて絶妙な「間」を演出)
 
・8割方、会話で物語が進行
(だいたい、どうでもいいような日常会話)
 
・偏差値低めの女子が相手なので設定の甘さは問題ない
エイズなのに症状がまったくエイズらしくない、など)

 
 こうして見るとケータイ小説の始祖的存在『DEEP LOVE』ってこの要素をことごとく含んでいる。
 この中で最も重要なのは「甘エロ」で、度を過ぎると管理者から規制が入ってしまう。
 「甘エロ」に唯一対抗できるのが学園ホラーものなんだけど、これはホラーというよりデスノートやバトルロワイヤルみたいにゲーム性が高く殺意や憎悪など人間の負の側面がフューチャーされているのが良いらしい。だけど、ホラーは甘エロほど容易にランキングには入れない。あと、難病とかメイドもの、ホラーものなど、だいたいひとつネタがあればそれを展開させる形でゴリ押しできるのも特徴。
 
 文章による表現力は二の次で、あらすじもどっかで見たような展開の連続なので、創作というよりはかつて自分が接した記憶のある物語を切り貼りして編集する感じに近い。

 それと甘エロの次に重要なのはページや改行による「間」で、これはテキストノベルにおけるクリックして文章が表示される間隔に近い。使い方によってはかなり効果的。
 
 僕は携帯電話を持つのがかなり遅くて、2,3年前はじめて手にしたのだけれど、はじめて携帯電話で活字を読んだ時、パソコンで読むのとは違う独特の「洗脳力」みたいなものを味わった。
 バックライトで浮かび上がる文字、ボタンを押すことで生じる能動性、すべて自分の手の中におさまっているという安心感。ケータイにしかできない表現方法は確実に存在する。
 
 
 携帯小説の特徴はもうひとつあって、人気が出ると書籍化されて本まで売れてしまう。おそらく本は関連グッズ的なウェートを占めてるんじゃないかと思う。そういう意味では芥川賞作品が売れてしまう構造とも似ている。芥川賞作品というのは、実際には読まれていない場合が多い気がする。
 まず、第一のターゲットはすでに芥川賞が発表された時点で読んでいる人たちで、とりあえず手元においておきたいってタイプ。第二は芥川賞ならチェックしなきゃというタイプ。で、第三は話題になってるならとりあえず買って批評しなきゃってタイプで、ネット上ではこれがわりと多い。
 
 よくオタクやマニアは「そんなのオレにも出来る」的な言い方をするんだけど、それは違うだろと思う。大切なのは「自分にできることをやる」ってことと、「欲しがっている人に、その欲してる物を与える」というバランスが重要。純文学と商業主義の対立ってこういうとこから来るんだけど、自分のやりたいこと、書きたい物を書いてそれがジャストミートに読者の趣向と一致するケータイ小説というジャンルは幸福だと思う。
 でもまあ、実はランキング上位を占めてる人間は確実に確信犯だとは思う。本気でやろうと思えばあるていどニーズが読めるから。そもそも80年代からツッパリ系の不良文化って金を使ってくれるし嗜好も単純だからマーケティングの対象だったわけだし。
 
 そもそも、「有名作家の小説ですら1万部売るのに苦労するのにケータイ小説ごときが10万部って何故?」みたいなのは愚問で、これは文学とは別物。
 ケータイ小説は、マーケットの対象が文学やオタクとはまったく違うし、むしろ「パステティーン」や「ミントティーン」といった、女の子向けのエッチ系投稿雑誌のノリなんだろうなあ。もうこのジャンルの方向性は完全に固定しているので、目新しいことをしてそれが認められるという余地はほとんどない。ここで文学表現にこだわるとかって、まったく無意味。さらに、メンタリティとしては「ティーンズロード」的な要素も必須だと思う。