犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

被害妄想の心理

  
■四季のひみつ日記 - オグラジオ
http://d.hatena.ne.jp/SH1KI/20090301

↑四季さんに描いていただいた、オグラジオ出演の際のイラストです。
 
当日話したことをうろ覚えで要約すると、
「自分は嫌われてるんじゃないかな…」という被害妄想も、
実際に確かめた瞬間に、少なくとも妄想ではなくなるという話。
本当に嫌われていた場合、それは「事実」に変換されるから。
とりあえず本当に嫌われていたなら、こっちが相手を嫌う正当性も保証されるというか…
 
あと、被害妄想に陥る人間の独特の心理というのは意外と単純で、単なる「自尊心」なのだと思う。
ポイントは二つあって「自分は悪くない」と「自分をもっと敬え」という気持ち。
「自分をもっと敬え」という気持ちについてはラジオでちょっとしゃべったので、「自分は悪くない」という心理を補足しておきたい。
 
たとえばうちの父親を見ていてつくづく思うのは、現実を直視することができないから妄想の世界に逃げ込んでしまうのだということ。
たとえば、自分が老いて身体が不自由になったことを認めたくないから、自分の命を狙うカルト集団を妄想して「エアコンに毒ガスを入れられた!」「病院で変な装置を埋め込まれた!」と、自分の健康状態の悪さを自分のせいではなく他人のせいにしてしまおうとする。
 
被害妄想を抱えている人の心境を一言で言い表せば、まさに「悪いのはオレじゃない、セカイの方だ!」ということになる。
まるで天動説を信じていた頃の人類みたく、彼らにとって世界は自分を中心に回っている。
 
自分の「思い込み」や「願望」と、「現実」をきちんと区別するのが解決策ではあるんだけど、世の中はけっこう憶測や感情論で動いている部分が大きい。
「…に違いない」という仮定で物事を判断している人は、病気でなくても多いと思う。
僕自身、現実よりも感情に流されることの方が多い。

たとえば「現実」なんて大それたことをテーマにしなくても、人が思い込みで動いてることは多い。
先日、テレビを見ていたら掃除のコツみたいなのをやっていて、自分の認識と180度違っていることに驚いた。
たとえば、風呂場のタイルを磨くときには上からではなく、下から磨かなければならないという。
なぜなら、洗剤が液だれして上を磨いているあいだに下の方にシミができてしまうから。
なんとなく素人考えだと、洗剤はよく浸透した方が汚れを落とす「ような気がする」ので、ずっと上から磨いていた。
まさにオカルトの原理と一緒で、人は「そんな気がする」という曖昧で納得しやすい方向に流されやすい。
民間療法とか都市伝説というのも、あらかたそういう思考法から生まれている。
コーラはしゅわしゅわ炭酸が泡立っているから骨が溶けそうな気がしたり、水道水をレンジでチンするとマイナスイオンが発生してそうな気がする。
 
ただ、本来なら被害妄想に対しては、客観的な第三者の意見を聞くというのが解決策なんだけど、病気だとそうもいかない。
統合失調症の場合、言いしれぬ不安感は脳の作用によるものだから精神修養ではどうにもならず、薬物で抑えるしかない。
それと、極まれにではあるが、虚構と現実の間がグラデーションのように溶け込んでしまう危うい状態というのもある。
たとえばうちの父親は、20年前に同じ職場だった人物に対して逆恨みの情を抱いている。
仕事中に口論になって、その人物に殴られたのだという。
その時の傷が今でも痛むし、今ではその人物が自分の命を狙うカルト集団の一員だったと確信している。
そんな彼を最近、ネットで検索してみたのだという。
なんと、本名に顔写真付きで怪しげな気功法のページを開いていた。
いわく、気孔によってガンもアトピーも対人恐怖も治るから、自分のところへ来れば薬を飲んだり医者にかかる必要はないのだという。
何とも言えない酩酊気分というのか、ため息しか出ない妙な気持ちになってしまった。
おそらくその人物がカルト集団の一員であるというのは父親の妄想に過ぎないが、彼がいかがわしく悪事に手を染めている人物であることは間違いない。
 
それと第三者の意見に耳を傾けるというのも、時には危ない。
たとえばネットを使えば第三者のアドバイスを容易に受けることが出来る。
しかし、ネットは似たようなタイプの人たちを引き寄せるし、意図的に自分に都合の良い情報ばかりを取捨選択してしまいがちになる。
たとえばわかりやすい例として「集団ストーカー」というものがある。
うちの父親のように自分は命を狙われ、組織的なストーカー行為を受けていると被害を訴える人たちが創り出した虚構の言葉だ。
ラジオでも話したし、書き始めると長くなるので僕自身の体験は割愛するが、省略していうと似たような妄想を抱いた人間同士がネットを通じてつながり合い、結果として「やっぱり集団ストーカーの被害に遭っているのは自分だけじゃなかった! 集団ストーカーは本当にあったんだ!」と確信してしまう。
三者の裏付けがあるからこそ、虚構が現実としての実態を持ってしまうのだ。
この辺りの話はもっとテレビとかでやった方がいいと思う。
 
というか、この辺の話はもうちょっときちんとやっておきたい。