犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

今年もありがとうございます

 
自分は基本的に怠惰で内向的なダメ人間なので、
才能と言うようなものは一切ないのだけれど、
「奇人変人と巡り会う才能」には恵まれているのではないかと思っている。
 
昔は街で変な人を見かける程度だったのが、
最近は「ご当地キャラ」がブームらしいので、
儲かるんじゃないかと勘違いした人たちが向こうから近寄ってくるようになった。
きちんと『ゆるキャラ論』読んでもらえたら、洗いざらい書いてあるので、
そんな勘違いはするはずないのになあと思いつつ、
世の中には活字があまり好きじゃない人、
そんな時間も余裕もない人たちがたくさんいるのもよくわかっている。
 
一方的に自分が被害者だなんてお高くとまるつもりはないが、
それにしても、ここ2年ほど、
世の中には訴えられたり捕まったりしない程度の悪人とか、
困った感じの人ってたくさんいるんだなあというのを実感している。
 
基本的には「ご当地キャラ」をやろうなんて人間はバカがつくほどお人よしで、
こっちが申し訳なるくらいに善良な人たちばかりを見てきてしまったので、
いわゆるふなっしーブーム以降に現れた人たちの何もかにもに惑わされてしまった。
実際にはブーム以前からの知り合いもいて、
自分が鈍感すぎてその本性に気づかなかっただけって人もいたけれど…
 
で、周囲の人たちにえらく叱られながら学んだのは、
下心のある人というのは善良なふりをして近づいて、驚くほど清々しく嘘をつくということ。
本人に嘘の自覚がないのかもしれないけど、なんか「断言」しがちな人というのは、
わりとあとからボロが出がちだなあというのを感じる。
ボクなんかはこの世の中に絶対なんてことがあるはずないし、
100%自分が正しいなんてことはありえないんじゃないかと思っているから、
なるべく断言とかせずに、なんか「自分なりに頑張ります」とか、そういう言葉でごまかして、
結果的に視線がうわついて挙動不審になりがちなのだけれど、
世の中にはハキハキと、目を爛々と輝かせながら嘘をついたり人を貶めたり、
いろいろする人たちがいるんだなと…。
考えてみれば、ボクが今まで出会った善良な人たちというのは不器用で挙動不審で、
仲良くなるのにそれなりに時間を要した人たちばかりだった。
 
去年はとくに、
主観的にはちょっと迷惑、
客観的にはものすごく面白い人たちが、
現れては消えていったり、
こちらからちょっと距離を置かせてもらったりした。
残念なのは、そういう人たちを面白がりながら晒せないこと。
昔だったら嬉々としてはてなダイアリーに書きまくっていたことが、
いろいろ立場上、守らないといけないものが出来たりなんだかんだで、
すべてできなくなってしまった。
 
唐突だけれど、中学生の頃にハマった『幻獣少年キマイラ』という夢枕獏の小説あって、
最近、角川文庫からラノベ風の装丁でもう一度出はじめてるんだけど、
久々に読むと、登場人物の誰に感情移入できるかというと
仙人みたいな老人、真壁雲斎だったりする。
たぶん、年齢的なものもあるだろう。
で、悪役ではないけど失うものが何もなくて汚い手を使って相手を倒そうとする
菊池良二という人物がいて、実は昔はそんな彼がわりと嫌いじゃなくて、むしろ好きだったのだけれど、
今の自分の境遇を考えると、いつの間にか自分は菊池の立場じゃなくなっていたんだと気づいて愕然とする。
むしろ、相手は本気でこちらを殺しにかかってくるのに、それを防御しながら、
同時に相手を殺さず、傷つけず、永遠に自分の大切なものを守り続けなければならないという、
劇中で雲斎や九十九にのしかかってくるテーマが、自分の立場に重なって、
思わずその答えを作中に見出そうとしてしまう。(もちろん、答えなんて出るはずがないんだけれど)
 
暴露したり相手を責めたりすれば一時的に自分は爽快感を得られるかも知れないけれど、
結果的に事態は解決もせず、むしろ悪い方向に向かってしまう可能性があるなんてことも
世の中にはたくさんあるんだなと、つくづく思い知った。
しかし、なんかこう、モヤモヤしたものを抱えながらも、
もはやドMとしてそれすら楽しんでしまうしかないんだなという悟りの境地みたいなものもある。
思えば、夢枕獏にハマっていた中高生だった頃、意味もなく出家したり苦行をしてみたいと思っていた。
将来の夢は坊さんになって山篭りすることだったけれど、
出家なんかしなくても苦行は可能で、むしろ浮世の苦界で悶々とする方がよっぽど苦行かもしれない。
そう思うと、まだ若くて幼かった頃の自分の夢は、今かなっているような気がしないでもない。
 
今年も、ネタにできないくらい面白い人たちに出会えそうな気がして、今からワクワクしている。