犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『ワーキングプア死亡宣告』草稿 7/7

 
■「自己責任」という名の弱者切り捨て
 ワーキングプアは自己責任だという意見があります。貧困に陥るのは世間が悪いというよりも、本人に責任があるのではないかというのです。
 もちろん努力もせずに結果だけを求めるのは間違っています。働くのは嫌だ、でも金は欲しいというのは誰もが思うことでしょう。税金は払いたくないけど、社会保障を充実して欲しいというのはワガママでしかありません。
 しかし、これまでも見てきたように企業の無責任は許されて個人の責任は徹底的に追及されるというのもおかしな話です。企業だろうと個人だろうと、間違っているものは間違っていると、断言しにくい世の中になっています。
 弱肉強食で、弱い者は喰い殺されて当然の世の中だとしたら、なぜ人間は社会制度なんてものを作ったのでしょうか? 助け合う必要もなく互いの肉を喰らいあって自由気ままに生きるのが正しいのだとしたら、法律やモラルなど、そんな面倒なことは無視して野生動物のまま野蛮に暮らしていれば良かったはずです。
 しかし、人間は本来どんな動物よりも弱かったからこそ仲間同士の助け合いが必要だったのです。
 社会保障とは何なのか?
 根本的な考え方に立ち返ってみれば今の世の中が異常なことに気がつきます。
例えば保険制度が生まれた背景を思い出してみましょう。人間は誰でも病気になるし、ケガもします。そして当然、100%死亡します。そのリスクはみんな同じです。
 そんな誰にでも訪れる「不幸な出来事」を、みんなで支え合うのが保険というものです。
 わかりやすいのは健康保険でしょう。
 常日頃、健康なときからみんなでお金を出し合って、もしも病気にかかった人がいたら、みんなで出し合ったお金の中から治療費を出して病院にかかれるようにする。お金が無いせいで病院にかかれないというリスクをなくすために健康保険は存在します。
 しかし、統計学が発達してくると、次第に病気やケガに関するリスクがみんな平等ではないことがわかってきます。病気にかかりやすい人、ケガをしやすい人がいるのです。
 そうなれば病気にかかりにくい人や、ケガをしにくい人まで同じ保険料を払うのは不平等なのではないかという意見も出てきます。自分たちは病院にかかることは少ないのに、他人の分まで医療費を負担していると感じるからです。
 あるいは自動車保険を例に挙げればもっとわかりやすいかも知れません。毎日クルマに乗る人と、休日しか乗らない人では、事故に遭う確率がまったく違います。当然、保険料が違ってきます。
 しかし、これを社会保障の観点で見るとどうでしょう?
 リスクの低い集団はより金銭的負担も少なく最大の利益を得て、リスクの高い集団は金銭的負担ばかり大きく見返りが少なくなってしまいます。
 結果、このような効率化を進めてゆけば、リスクの低い集団はどんどんリスクの高い人々を切り捨てて、最大限の利益を得ることが出来るようになります。そしてこの考え方を突き詰めていくと、本来ならば守られるはずだった弱者ほど排除され、生きることすら困難になってゆくのです。
 今、国が政策として進めている「小さな政府」というのは、もしかするとこうしたリスクの切り捨てなのかも知れません。
 国民は国家に「利益の再分配」を要求しますが、実は「利益」だけではなく、「リスク」や「コスト」も同時に再分配されるべきなのです。
 
 厚生労働省の発表した平成19年度の都道府県別の平均月収を見ると、トップは東京都の37万4200円、最下位は沖縄の22万7400円です。この地域格差は年々、広がっています。
 しかし、この東京の一人勝ちには理由があります。
 大企業のほとんどが本社を東京に持ち、地方のチェーン店などで稼いだ収益が東京に集まってきます。地方で稼いだお金が税金として地方にまわることなく、東京に一極集中してしまうのです。
 これまで国家単位で収支の辻褄を合わせていたものを、都道府県ごとに区切ることで貧富の差が浮き彫りにされ、このままでは貧しい地方自治体はこれまでのような支援を受けられなくなります。
 実は年度末に予算を使い切るため無駄な道路工事ばかりしていると評判の悪い道路財源や、地方自治体の無意味とも思える公共事業の数々は、カタチを変えた利益の再分配方法だったのです。雇用の少ない地方では、そうした道路工事や公共施設の建設が、福祉による支援よりもよっぽど人々の生活を支えています。もちろん本来ならば、このような不透明なカタチではなくきちんとスジの通った再分配が必要でしょう。政治家・企業・公務員といった一部の人たちがワガママ放題に既得権益を独り占めする土壌が、この国を歪ませているのは事実です。
 どんなに増税し、公共事業などの無駄を効率化しても、これらの人々が利益を独占している限り、財政赤字が減るとは到底思えません。
 そのしわ寄せが、結果的に国民にまわってきて貧困問題が悪化してゆくのです。
 格差問題の本質も、ここにあります。金持ちや権力者といった強者が、弱者を切り捨てることによって利益を自分たちだけで分け合おうとしているのです。
 
■将来の夢は公務員
 宇多田ヒカルのヒット曲『Keep Tryin'』に「将来の夢が公務員だなんて夢がない」というような歌詞があって物議をかもした事がありました。公務員をバカにしているというのです。
 しかし、実際には公務員の給与は民間企業の平均よりも200万円以上高く、子を持つ親が「将来、子供に就かせたい職業ランキング」で男の子のトップは公務員で、日本が不況に突入した1992年から連続でトップの座を守り続けています。しかも中学生以上になると子供の「なりたい職業ランキング」にまで公務員が登場しはじめ、年齢が上がるほど上位になってゆきます。
 みんな、公務員がいかにおいしい職業なのかを知っているのです。
 事実、公務員はいまだに年功序列で昇進試験もないので、長く努めるほど給料はあがってゆきます。ゴミの収集作業や学校の給食係など専門性の低い職業でも、場合によっては1000万円以上の年収があります。これは一般企業でいえば部長クラスです。
 もちろん、これにはトリックがあります。
 昔は公務員の収入は民間に比べて低く、国立大学の教授などは家が金持ちでなければ食べていけないほどに給料が安かったと言います。それが高度経済成長期、民間企業並みの給料を保障しようということになり、民間企業の平均賃金を参考にして公務員の給料が決められるようになったのです。しかし、そこでサンプルに選ばれた企業は、意図的に業績のいい一流企業ばかりでした。
 日本が不況に突入してからは、次々と民間企業が経営難に陥り倒産してゆきました。そんな中でも生き残った業績の優秀な企業ばかりがサンプルとして選ばれ、公務員の給料は上がり続けたのです。さらに、内部で独自のルールを作り、残業を増やして本来の年収の倍以上の額を受け取っている公務員も少なくありません。そして、どんなに国や地方自治体が財政赤字を抱えていても、自分たちの給料は下げようとしないのです。
 みんながみんな、このようなほとんど詐欺としか言いようのない手口を知った上で「我が子を公務員にしたい」とか、「公務員になりたい」と言っているわけではないでしょう。しかし、なんとなく公務員ばかりがいい思いをしてる、という事に気づいています。
 実は、あわよくば自分も加害者の側にまわりたいと、誰もが思っているのです。
 既得権益という言葉は、何も権力を握っているごく一部の偉い人々だけのものではありません。日本に暮らす我々が今の暮らしを捨てて、財産や生活環境を発展途上国で飢餓に苦しむ人々に分け与えろといわれても、なかなか出来ることではありません。日本にワークシェアリングという、一人一人の収入を減らして仕事を分け合うという雇用の守り方が根付かなかったのも、すでに仕事を持っていた人たちが自分たちの収入を削ってまで他人の暮らしを守ろうとは思わなかったからです。
 誰だって、自分の所有物をタダで手放そうとはしません。
 結局、ほとんどの人にとって、自分さえ良ければそれでいいのです。
 どんなに文明が発達しようと、そうした「心の貧しさ」は変わりません。このような人間の醜い部分というのは、どんなに偉い政治家も企業家も、そして我々庶民も変わらないのです。
「政治が悪い、企業が悪い」と被害者意識だけをつのらせて、他人にばかり責任を押しつけるというのは、やはり意地汚い政治家や企業家とまったく同じ無責任な考え方なのかも知れません。
 
我々は、未来を切り崩して生きている
 政治が悪い、企業が悪い、アメリカが悪い……
 これまで日本が貧困化してゆく要因を、色々と書き連ねてきました。まるでタチの悪い陰謀論じゃないかと思われた読者もいるかも知れません。しかし冷静に考えてみれば、これは陰謀などではありません。
 我々自身が、目先の利益ばかりを追い求め、短絡的な行動を繰り返してきた結果なのです。金持ちも貧乏人も関係なく、みんなが「自分さえ良ければいい」「今さえ良ければいい」という考え方で生きてきた結果であり、そのツケが今になって自分たちの身に降りかかってきたというだけなのです。
 このまま行政や企業が提供する便利さや豊かさにすがっている限り、今のような貧困を生み出す社会の状況を変えることは出来ないでしょう。
 かと言って、グローバリゼーションや市場原理によって価格の引き下げられた商品や食料品の利用を今すぐ止めろというのも不可能です。そんな強制力を誰も持っていないし、そんな命令の言いなりになる人もいるはずがありません。
 だいたい、今の貪欲で享楽的な生活をすべて捨てれば日本は豊かになるのかと言えば、そんなことはまったくありません。
 食糧自給率の低い日本では、グローバリゼーションの波に乗り遅れて世界中から孤立すれば、やはり破滅の道しか残されていないのです。
 しかも貧しい人ほど、100円ショップやショッピングモールで買い物し、安いネットカフェに寝泊まりするような暮らしをしています。劣悪で低賃金の労働や、低価格の商品に支えられて生きているわけです。もはや我々は文句を言いながらも、そうした自分自身の生活を脅かす存在そのものに頼らずには生きていくことはできません。それを断ち切られたら、たちまち死んでしまうような矛盾した状況に置かれているのです。
 
 これまで日本は、問題を先送りにして最悪の事態に対して見て見ぬふりをしてきました。
 現時点で1000兆円以上とも言われる財政赤字は、その結果です。
 あるいは環境問題やエネルギー問題などもそうです。
 誰もその責任をとらず、うやむやにして平和な日々を過ごしてきました。
 けれどそんな見せかけの平和は、いつか破綻します。
 我々は未来を切り崩して生きてきたのです。
 そのツケは必ず将来に支払うことになります。
 しかも借金と同じで、後回しになればなるほど、確実にその苦しみは倍増します。
 今はまだその苦しみが一方的に弱者だけに押しつけられているように見えますが、実はこの貧困化への流れは、日本という国全体が背負っているのです。それどころか、世界レベルで問題は深刻化しています。
 すでにアメリカの低所得者向け住宅ローンのサブプライム問題が世界各国の金融市場に影響を及ぼし、日本の損害も少なくないことが発表されています。さらに、今は好景気に沸く中国経済北京オリンピック終了とともにバブルが弾けて様々なボロが出てくるのではないかと噂されはじめました。自給率が低く、輸出や輸入に頼りっぱなしの日本は、こうした海外の影響を受けやすいので、どこかひとつの国が傾けば共倒れになる可能性が高いのです。
 様々な世界情勢から見て、これまで弱者を踏みつけることでなんとか安定を保ってきた富裕層すら、いつ転落するかわからない状況です。日本という国そのものが破綻してしまえば、社会保障セーフティネットなんてまったく意味がなくなります。個人どころか、国家レベルでどうにもならない絶望的な未来が待ち受けています。
 
 今の時点では、何をどうすればいいのか、わからない事ばかりかも知れません。
 しかし、まずは現状を知り、目をそむけないことです。
 他人の苦しみから目を背けるのではなく、それがいずれ自分自身にも降りかかってくる問題として認識することが、明るい未来を取り戻す第一歩になるかも知れません。
 もしも今、あなたにとってワーキングプアという言葉が現実味を帯びたものではなかったとしても、その言葉が投げかける多くの問題は、必ずあなた自身につながっているのです。

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