犬惑星

『ゆるキャラ論』著者・犬山秋彦のブログ

『ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語―夢の楽園』展

 原美術館の「ヘンリー・ダーガー展」 へ行って来た。
 
 実は原美術館て自宅から徒歩でいけるほど近いし、犬の散歩でしょっちゅう前を通っていたが、なんとなくネーミングからしてジジババ臭いような気がして、どうせ壺とかキルトとか展示してるんだろうなと勝手に誤解していた。まさか常設展示が現代美術で、森村泰昌奈良美智だったとは。六本木ヒルズに勝るとも劣らないアナーキーさだ。
 
 それよりなにより、ヘンリー・ダーガー荒俣宏か何かの本で人知れず膨大な物語を書き残して死んでいった男の話は活字で知っていた。しかし実際の絵画は初めて見た。

 画用紙いっぱいにトレースや模写した少女たちを散りばめ、拾ってきた雑誌の切り抜きなんかをコラージュしたような作品。技術的には拙いけれど、かなり強烈なインパクト。多くの人たちが言及しているように、ダーガーは元祖・本田透みたいなもんで、生身の女性に向かえない性衝動を創作にぶつけて昇華している感じがする。行方不明になった少女に関する新聞記事を大量にコレクションしていたりして、彼が気弱で謙虚で無行動派でなかったらロリペド犯罪者になっていたであろうことは想像に難くない。
 
 そして誰もがつっこみたくなるのはおそらく少女の股間に描かれたペニスだとろう。本当の女性器を見たことがないので、自分のペニスや天使像のペニスをそのまま少女にあてはめてしまったんじゃないかという説もあるらしい。
 しかし『美術手帖』の中で会田誠が、ダーガーは実際に少女を殺していたかも知れないという説を紹介している。青年時代、施設を脱走した時期とかさなるように付近で少女の絞殺体が見つかり、その事件は迷宮入りになってしまった。
 
 誰もがダーガーはドス黒い衝動や欲望を自分ひとりの内面に押し殺し、静かに一生を送ったとイメージしている。少なくとも大多数のブロガーはそう信じ込んでいるし、研究者はあえてその辺に触れないようにしている気配がある。
 
 いやでも、ダーガー作品に登場する「男に首を絞められる少女」って、トレースやコラージュを基本にしたダーガーの作風とちょっとズレてて、なんか手書きっぽいヘタクソなものが多い。
 
 また、会田誠のコラムの直後に斎藤環は『非現実の王国で』の中で少女が語るこんなセリフを引用している。
 

「レイプっていうのは、女の子のお腹を切り開いて中身を取り出すことよ。そう辞書に書いてあるわ」

 
 ダーガーの物語は、現実の生活から大きく影響を受けている。
 その証拠に、ダーガーが大切に保管してあった少女失踪の新聞記事から切り抜いた肖像写真を紛失してしまった時、神を呪って物語の中ではキリスト教国連合軍に属する子供たちがこれでもかというほどむごたらしい死に方をする。
 さらに物語の中では失踪少女の幽霊やヴィヴィアン・ガールズとダーガー自身が対話する場面もある。そういう場面には、彼の内面の葛藤が描かれている。少女たちが正気のダーガーを演じ、劇中のダーガーはそれをことごとく否定していく。
 1万5000ページに及ぶという『非現実の王国で』は、研究者ですらそのすべてを読破していないと言われている。
 もしかすると、犯罪に関する具体的な記述がどこかにあるんじゃないかと想像してみると、背筋が冷たくなる。
 
 最初は僕もダーガーは脳内ですべてを完結していたんじゃないかと思った。
 しかし今では、かなり際どいところまでは実行に移したことがあるんじゃないかという気がしてならない。…殺人までいかないにしても。
 施設にいた頃は晩年と違って、かなり粗暴だったらしく、暴力沙汰も起こしている。
 勝手な解釈なのでとても公表はできないけれど、この変わり方、ただ単に脳の機能低下によって粗暴になり、さらに脳の別の部位が何らかの要因で機能低下することでおとなしくなってしまったという解釈もできなくはない。
 ここまで美術市場でマーケットを形成してしまった以上、それをブチ壊すことはもうできないだろうし、仮に彼の犯罪が暴かれてしまった場合、障害者に対する偏見を助長するんじゃないかという『累犯障害者』全般が大きく抱えている問題にもブチ当たる。
 
 
 偏見が偏見を助長するので、偏見については語りにくい部分がある。
 そして語られないことによって、よりいっそう理解が阻まれる。
 ヘンリー・ダーガーに限らず、そういう悪循環が世の中にはあるような気がする。
 
 ヘンリー・ダーガーにまつわる<謎>というのは、
 実のところまったく<謎>なんかじゃなくて、
 知ってしまえば身も蓋もない事ばかりなんだろうなと思う。
 
 それでも<男の子>がダーガーに心魅かれてしまうのは、
 誰もが性欲をもてあまして犯罪一歩手前くらいまでの衝動に身を焦がしたことがあるからで、特にその危機感みたいなものはモテなければモテないほど共感できる。
 斎藤環が言うように、ヘンリー・ダーガーに関しては作品と言うより人物そのものに共振する部分が多い。
 まさに、うしろめたさと自己懲罰に身もだえながらプレイするエロゲーの世界のようなものだろう。

http://www.tokyoartbeat.com/event/2007/7141