過激ゆるキャラ報道で須崎市が炎上し、「ちぃたん☆」が擁護された理由
詳しくは過去にまとめたので、こちらをご覧いただきたい。
その後、メディア報道で知った一般の人々からは
「ちぃたん☆がかわいそう」、
「須崎市には洒落のわかるヤツはいないのか」などの声がよせられた。
おおむね、ちぃたんが擁護され、須崎市が叩かれ炎上する結果となった。
それも無理はないという話。
◆なぜ須崎市は炎上したのか?
即席でつくったため、ちょっと見づらいと思うが、図にしてみた。
実際には複雑な理由が絡み合っているのだが、
メディアは報道しやすい部分だけを切り抜いて…
「ちぃたん☆の過激な動画にクレームが来た」
「ちぃたん☆が観光大使を解任された」
という、この2点のみを報じた。
事実なのでまったくウソではないが、
これだけではみんなちぃたん☆を擁護したくなるのも無理はないだろう。
◆ラジオとテレビ、メディア報道の特性
今回の報道について「ゆるキャラ評論家」という謎のいかがわしい肩書で
TBS『ひるおび!』に解説として出演させていただいた。
その時、僕自身はちぃたん☆の運営会社はクリーブラッツという
「仮面女子」などのアイドルも手掛ける芸能事務所という認識だったので、
そのように発言したら、直後に芸能事務所ではないと訂正されてしまった。
ちぃたん☆の運営はクリーブラッツというのはアイドルファンの間では有名ことなので
べつに隠してるわけではないという人もいるが、
実際にはあまり出されたくないようである。
打ち合わせの段階ではテレビ局側もクリーブラッツの存在は把握しており、
何度かその名前も出てきた。
しかし、このように何らかの「配慮」や「忖度」をうかがわせる反応があったのは興味深い。
おそらくテレビという特性上、ちぃたん☆の解任劇を報じるには、
ちぃたん☆の過激動画をいっしょに放送しなければ「面白さ」をお茶の間に提供できない。
そうなれば動画使用の許可を得るため、クリーブラッツ側に配慮しなければならないのも仕方ないだろう。
一方、1月16日のTBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』では、
ニュースサイト「ありんど高知」からの引用ではあったが、
今回の件に関する問題点のほぼ全容が報じられた。
これが可能だったのは動画ではなく音声のみというラジオならではの特性が影響しているのだろう。
世の中的には「偏向報道」などという言葉もよく使われるが、
動画を必要とするテレビは、より多くの人たちに配慮する必要があるので、
情報の密度は自然と薄まってゆく。
しかしラジオはテレビよりもほんのわずかに「報道の自由」を獲得しているのかも知れない。
※radikoへのリンクなので、放送後1週間たつと聴けなくなります。
あとポイントは、須崎市の目をくらませたカワウソちぃたんのフォロワー数も半分ちかく水増しという事実…(´・ω・`)
◆追記2019.02.07
ちぃたん☆を運営する芸能事務所の問題ですが、
新しく明らかになった情報を加えて、これまでの経緯を更新しました。
ポイントは、ちぃたん☆とコラボした企業は、
「商標登録が拒絶されていた」こと、
「須崎市からの活動停止を求められていた」ことを知っていたのかという点にあります。
もしも知らなかったのであれば、コラボ企業も騙されていたということで、
また新たな問題が発生します。
◆2019.02.22追記
進展があったので追加しました
過激ゆるキャラ「ちぃたん☆」解任騒動の論点
今回のちぃたん☆騒動。
新聞報道では
「過激すぎるゆるキャラが観光大使を解任された」
というだけのニュアンスだが…
各所の情報をまとめてみると、
運営会社のブラックな体質が浮き彫りになってくる。
そして須崎市は今後の活動に深刻な被害を及ぼしかねないと
判断したのだろう。
◆ちぃたん☆への賛否両論と、その魅力
ちぃたん☆がYouTubeで過激な動画をアップしはじめた頃、
なぜかファンからうちの方にも
「危ないからやめさせてあげて」みたいな声が届いた。
それを須崎市役所の守時さんに相談したら、
ちぃたん☆の運営会社はどんどんエスカレートして
着ぐるみのアタマが取ったり、
危険行為をおこなっている動画をアップしようとしているので
必死に止めてると言っていた。
これは賢明な判断で、
後にちぃたん☆をマネして危険な動画をアップしはじめた
着ぐるみがバラバラになるパチスロ会社のベガサスなどのフォロワーが
あまり増えなかったり顰蹙を買っていることからも、
そういった方向性の動画はあまり評判が良くはない。
ただ過激さを追い求めるだけでは人気キャラになれないのだ。
ちぃたん☆がウケたのも、過激なだけでなく、
須崎市役所によってある程度、
視聴者が受け止めやすいように歯止めをかけていたからだろう。
要は、バランス感覚である。
◆フォロワー水増し疑惑
実はフォロワー数のわりに、
ちぃたん☆グッズはそんなに売れていないのではないか?
という指摘は以前からあった。
【過激ゆるキャラ】「自称」須崎市観光大使の「ちぃたん☆」の運営実態がヤバすぎる! - ありんど高知
ご当地キャライベントで共演すると
物販ブースは意外と閑散としており、
キャラの周りをとりまく人だかりもない。
むしろ世間的にはちぃたん☆よりも「知名度が低い」とされている
しんじょう君や、去年ゆるキャラグランプリを受賞したカパルの方が
よっぽど盛況だったりする。
知名度と人気に乖離があるのはキャラにありがちなことだし、
わざわざご当地キャライベントにまで足を運ぶファンが少ないのだろうと思っていた。
◆ちぃたん☆の焼け畑ビジネス
しかし、実際には
市販のグッズの売り上げも伸び悩んでいるという話を聞いたことがある。
ちぃたんグッズの制作や販売を持ち掛けられた業者は、
ちぃたん☆のフォロワー100万人以上というプレゼンを真に受けて
グッズを大量生産するが思ったほど売れず、
イベントへの動員も思ったほど多くないので、次の開催へと続かない。
キャラグッズは生産量によってロイヤリティが支払われるので、
たくさん作れば作るほどキャラの運営会社は儲かる。
しかし実際に売れなければ、生産した業者は赤字を被ることになる。
まるで焼け畑農業のような、キャラを使い捨てるビジネスが行われていたわけだ。
◆おみやげ市場への乱入
また、最近では須崎みやげとしてちぃたん☆グッズが売られている。
業者はしんじょう君そっくりだし、
しかし観光大使に任命されたのは着ぐるみではなく、
着ぐるみのモデルとなった同名のコツメカワウソの方である。
グッズの販路拡大を狙っているわけだ。
その役割をまったく果たしていないにもかかわらず、
ビジネス的においしい部分だけ奪ってゆこうとしているかのようだ。
◆実態を伴わないちぃたん☆人気
このような実態をかえりみると、
フォロワーを金で買って水増しする行為はTwitterの規約に反するだけでなく、実態を伴わない数値を提示して顧客を騙す「優良誤認」や「不正競争防止法違反」になるのではないだろうか?
まあ、ピカソも人を雇って画廊に派遣し
「ピカソの絵は置いてないのか」と言って回らせたというし、
フォロワー水増しは芸能人や人気YouTuberなどもおこなっているとウワサされるので、
「営業努力」として許される範囲なのかも知れない。
動画がおもしろいと話題となり、
買い上げたフォロワー数と同じくらいのファンを獲得したのも事実だ。
たとえ不正があったとしても、その後評価されれば、その評価は正当なモノなのか?
興味深い問題提起でもある。
しかし表向きの華やかさと裏腹に、その陰で被害をこうむる人がいて、
次第に悪い評判が広まれば、その矛先はしんじょう君や市役所にも向かいかねない。
◆商標権の先取り疑惑
ゆるキャラちぃたんの闇 数々のスキャンダル疑惑で観光大使解任 - YouTube
さらにイーサキングが動画で指摘しているように、
海外での商標登録を精力的に行っているのだとすると、
商標は先願主義なので先に書類を提出した者勝ちになってしまう。
つまり、かつて「阪神優勝」という一般名詞や、
ピコ太郎の「PPAP」という他人の著作権物を勝手に商標登録して、
使用料を手に入れようとしていたベストライセンスのように、
ちぃたん☆が先に権利を主張した場合、
もともとのしんじょう君に使用料が請求されたり、
使用停止の可能性があるのではないかと心配しているのだろう。
【過激ゆるキャラ】「自称」須崎市観光大使の「ちぃたん☆」の運営実態がヤバすぎる! - ありんど高知
かつてウルトラマンがタイ人実業家によって
海外での商標を奪われ、海外進出に苦労したという。
日本国内なら説明をすれば特許庁も理解を示してくれるだろうが、
事情を知らない海外ではどうだろう?
先に書類申請したちぃたん☆の方が権利を手に入れ、
しんじょう君の方がパクリキャラと認定されてしまうかも知れない。
そうなれば、すでに中国でアニメ化もきまっているしんじょう君の活動も
制約されてしまう可能性があるだろう。
まさに「軒を貸して母屋を取られる」状態である。
◆本当の論点は?
それにしても解任劇の翌日に発売された『週刊文春』の記事は意外とふつうだった。
今回の論点、実は『ありんど高知』以外にちぃたんの運営会社についてあまり触れられていないという部分にあるのかも知れない。
キャランドゥという実態の定かでないちぃたん☆の運営会社。
そしてその裏にある商標を持つ株式会社クリーブラッツ。
あらためて社長とされる人物「池田正流」「池田せいじ」の名で検索してみて、
あまり足を踏み入れてはいけない領域なのかも知れないと思ってしまった。
今回のちぃたん☆問題、純烈の友井さんとか
芸能人の諸々のスキャンダルとかぶる部分がある。
優れたアーティストは、
たとえ人格や行動に問題があっても、果たしてどこまで許されるのか?
「天才は何をやっても許されるのか?」という古典的な命題だ。
今回のちぃたん☆の解任騒動、
まだまだ報道だけではうかがい知れない問題点がたくさんありそうだ。
◆追記2019.01.18.
今週号の『週刊文春』、
最後にさらっと書かれていたので読み飛ばしていたけど
「法廷闘争の可能性」という一文が…
つまり今回の騒動はこっちがメインで、
ちぃたん☆解任はキャラを大人同士の争いに巻き込まないための配慮だった
…という見方もできるわけだ。
ひとつ前の段には市側の意見が「突っぱねられた」という一文もある。
しんじょう君を元にしたキャラであるにも関わらず市の意見は反映されず、
商標についても事前に意見交換して足並みをそろえる、
というような配慮もなかったのではないかと推測できる。
各所から取材を受けるたび、
ちぃたん☆を運営するキャランドゥに連絡がつかず実態がつかめない
という話をきくが、
ありんど高知さんの推理が正しければ
仮面女子と同じくクリーブラッツが運営に関わっているはず。
今回、テレビでわざとちぃたん☆の運営会社を「芸能事務所」と言ってみたら、
即行で「キャラクターの版権管理会社」と訂正された。
NHKでもないのだから表向きの「キャランドゥ」くらいは出してもいいと思うのだが、なぜそこまで正体を隠したがるのか疑問だ。
ファンの中にはちぃたん☆が可愛いくて応援してるんだから
須崎市なんて関係ないって人もいるけど、
ちぃたん☆が可愛いのはしんじょう君がかわいいからであって、
池田せいじさんもそこに目をつけたのだろう。
つまり、違法ではないけど観光大使を名乗ることで
そのデザインを合法的に手に入れたわけだ。
しんじょう君とちぃたん☆は イベントでの共演も多く、
ちぃたん☆自身やアテンドのお姉さんたちとの関係が良好なのは間違いない。
要は『ありんど高知』さんの推理どおり
クリーブラッツの池田せいじさんにちぃたん☆の権限があるのであれば、
須崎市がのぞむのはちぃたん☆の解任ではなく、
池田せいじさんとの話あいなのではないだろうか?
◆追記2019.02.02.
ちぃたん☆、去年の8月に商標登録の申請を拒絶されてます。理由は先に出願されたキャラに似てるから。つまり特許庁が、ちぃたん☆はしんじょう君のパクリ…とまでは言わないまでも、に過ぎていてると認めてるわけですね。
これはつまり、ちぃたん☆の方が先に出願してたらしんじょう君は商標登録できなくなっていたということで、ちぃたん☆が海外の商標登録を急いでいたのはこのことに自覚的だったからかも知れません。
◆追記2019.02.06.
◆ 須崎市長定例会見 クリーブラッツへの対応について(PDFに直リンク)
https://www.city.susaki.lg.jp/download/?t=LD&id=3366&fid=11277
今回の会見で明らかになったのは、須崎市から正式にちぃたん☆の「活動停止」を求めたのにアニメ化を発表するなど、なんらかの誠意ある対応をする気配がないという部分でしょうか。
こういった細かい部分はメディアで報じられず、しんじょう君vsちぃたん☆みたいな面白おかしい部分だけが報じられて終わってしまうでしょうから、コラボ企業には伝わりにくいかもしれないですね。
もしファンの方にできることがあったら、クレームではなく問合せによって意見を伝えることでしょうか
現時点では「活動停止」を求めているだけで判決出てないですし、すぐにちぃたん☆が活動停止になることはないのかも知れませんが、そんな状況でアニメ化やコラボ企画が進むのは不思議で、そういった状況をクリーブラッツはコラボ企業に伝えていたのかなというのは疑問ですね。
あとは、ちぃたん☆ファンの方としても、楽しみにしていたアニメが今回の件でどうなるかとか気になるところでしょうし。クリーブラッツさん側やコラボ企業側の意見も気になるところです。
クソダサいと非難されても「高輪ゲートウェイ」が撤回されない理由
◆95.8%が高輪ゲートウェイに反対
Jタウンネットのアンケートによると95.8%の人々が、
JR山手線の新駅『高輪ゲートウェイ』に反対なのだという。
なるほど、SNSで検索すれば否定的な意見ばかりだし、
芸能人や文化人、果ては鉄道ジャーナリストや
国語辞典を編纂している先生方まで猛反対している。
あげくの果てには、駅名を撤回せよという署名活動まで始まり、
およそ5万名の同意が得られたと話題になった。
否定的な意見をまとめると、
「名前がダサい」と「公募の順位を無視するなんて公募の意味がない」の
2つに要約される。
◆読解力の低下か? ミスリードか?
高輪ゲートウェイというネーミングをダサいと感じるのは
個人の感想なので、とくに異論はない。
指摘したいのは「公募の意味がない」という意見である。
この言葉に続くのはたいてい
「最初から名前の決まっていた出来レースだったに違いない」
「JRの偉いやつがゴリ推ししたに違いない」という憶測や妄想である。
これらの意見は「公募」という言葉の意味を理解していないがゆえに生じる誤解だ。
公募と投票を混同している。
批判している人々は今回の公募を「人気投票」や「アンケート」と勘違いしているが、本来「公募」という言葉にそのような意味合いはない。
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20180604.pdf
これは新駅の名前を公募した際のPDFだが、
「応募数による決定ではない」と表記されていることから、
新駅にふさわしい名前のアイディア募集であることがわかる。
人気投票やアンケートなら、はじめに選択肢が示され、そこから選ぶようになっていたはずだ。たとえば『ゆるキャラグランプリ』などのように。
しかし、これは応募者の考えた名前を投稿するように指示されている。
人気ランキングではなく、アイディアの募集なので「高輪」や「芝浦」のように応募数の多かった名前が選ばれるはずはない。
それはつまり、誰でも思いつくような当たり前で平凡な名前でしかないからだ。
駅は公共の施設なのだから独創性などいらない、もっとシンプルであらねばならないという意見もごもっともだが、公募の時点でJR側はそのようなネーミングを求めていなかったのだ。
もっとわかりやすく言うなら、名前ではなくこれが仮にキャラクターの募集だったらどうだろう?
似たようなイラスト、たとえば誰もが知っているアンパンマンやピカチュウのようなキャラが多数送られてきたら、それが採用されるだろうか?
今回はネーミングの募集だったので似たような発想の方が36名いたが、ふつうの公募だったら当選者は1名に絞られるはずだ。
このように「公募」と「投票」では意味合いが違う。
では、なぜ国語を編纂する学者先生までもが今回の件で「公募」と「投票」の意味合いを混同してしまったのか?
それはJR側にも批難されるべきところがある。
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20181201.pdf
名前発表の時、応募数を人気ランキングであるかのように順位をつけてしまったからだ。これではメディア各社が誤解しても仕方ない。
今回の炎上騒動は、JR側のプレスリリースや記者会見での情報の出し方により、報道メディアがミスリードされてしまったのが原因だろう。
◆高輪ゲートウェイは出来レースか?
上記は「「高輪ゲートウェイ」という駅名を撤回してください」という署名活動からの引用だが、
高輪ゲートウェイ反対派が抱く憎悪の根源は、権力者から強引にクソダサい名前を押しつけられたという怒りであり、「権力者」という仮想敵に対する怒りである。
しかし、そもそも公募は投票ではないのだから「公募の意味がない」という意見は誤解だ。
さらに最初から高輪ゲートウェイに決まっていたという出来レース説も、
偉いやつが勝手に決めたにちがいないという説も、憶測や妄想の域を出ない。
それにも関わらず、マスコミは高輪ゲートウェイを取り上げる時はこのふたつの意見を、あたかも既成事実であるかのように語り、視聴者を煽り続けている。
あげくの果てに、「高輪ゲートウェイに応募した36人など実在するのだろうか?」
「実は全員、JR職員や家族だったのではないか?」
中には「高輪」と「ゲートウェイ」という言葉を組み合わせるなどという発想は天文学的確率であり得ないなどという珍説まで飛び出すありさま。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54878?page=3
憶測や妄想を補強するための理由を、必死に探しているようだ。
◆デマを流し続けるマスコミのあやまち
一般人が「公募」の意味を理解できず、
間違った認識によって高輪ゲートウェイを叩き続けるのは仕方ない。
僕自身は学生時代から『公募ガイド』を愛読していて、
文芸やネーミング募集に応募していた経験があるし、
今回の新駅の名前募集にも応募したので、内容は理解しやすかった。
しかし、公募というものに馴染みのない人々にはちょっと難しいだろう。
そもそも一般人がマスコミの言動を鵜呑みにするのも仕方ないし、
それが事実であるかどうかを検証するほどのリテラシーを持ち合わせないことも罪ではない。みんな、そんなにヒマではないのだから。
しかしマスコミは違う。
報道は事実確認や検証が仕事のはずだし「公募の選定方法が不透明だ」というのなら、きちんと取材して明らかにすればいい。
ネットニュースには校閲などつかないだろうから、個人の憶測や妄想が垂れ流されるのも仕方ないと思うが、あるていど名の知れた出版社の週刊誌やニュース番組なら、情報発信する側としての責任があるはずなので、無責任で根拠薄弱な発言には修正が入るはずだと思うのだが、今のところ公募と投票の混同すらきちんと訂正された報道を見たことがない。
ほとんどのテレビ・ラジオ・雑誌が間違ったまま報道しているので、ここで例に出すのも可哀そうだが、とりあえず目についたので一例として提示しておく。
完全に、公募と投票の区別がついていない。
僕自身、5年前から「新駅開業太郎」という新駅に便乗するためのキャラを勝手にデザインして、多少なりとも新駅に関する情報は集め続けてきたし、今回の騒動でも「高輪ゲートウェイ太郎」 として取材を受ける立場なので、マスコミの内情も多少はわかる。
全員が誤解しているわけではなく、取材している記者たちの中にはきちんと理解している人たちも存在している。しかし、報道される段階になると、必ずと言っていいほど「公募を無視したため批難の声があがっている」という内容にすり替わってしまう。
それも無理からぬこととわかっている。
視聴率をとるには視聴者目線や庶民感覚にすり寄って「共感」される必要がある。
結果、それがバズることになる。
しかし、ネットニュースや情報バラエティならともかく、報道番組でそれをやっていいのか?
タレントの不倫や政治家の汚職は暴くのに、たかが新駅の公募がきちんと行われたかどうかという程度のことは検証なしに憶測で情報を垂れ流している。
日本には推定無罪というのがある。疑わしきは罰せず。
高輪ゲートウェイのネーミング決定に不正があったかどうか検証もせずに、流言飛語のたぐいを垂れ流すということはデマを垂れ流しているのと同様で、これは名誉棄損と受け取られ兼ねない。
おそらく企業イメージが悪くなるのでJR側は訴訟などしないだろうが、もし仮に公募はきちんと行われていたということが立証されたら、これはマスコミの不祥事ということにはならないのだろうか?
高輪ゲートウェイに反対している人たちの根拠の中核をなす「公募を無視した」というのが単なる誤解であり、公募というシステムによって正しく駅名が選定されたのであれば、たとえ署名が1億人くらい集まったとしても撤回する必要はないだろう。
そもそも駅名に日本語としての美しさだとか、歴史的背景だとかを重視する反対派の方たちは、「公募」という日本語を誤用している時点で説得力を失っていることに気づいた方がいい。
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言いたいことは以上だが、
ここからはなぜ他の駅名ではダメだったのか?
なぜ高輪ゲートウェイが選ばれたのかという考察を、過去に作成したNAVERまとめなども交えてつらつらと書き連ねたい。
思いついたことを適当に書くので、たまに追記などするかも知れない。
◆高輪ゲートウェイに応募した36人は実在するのか?
出来レース説の根拠に、高輪ゲートウェイに応募した人数が少なすぎるというものがある。中には、実在するのかという意見も見かけた。
しかし僕はSNSを検索していて、真偽はともかく実際に自分が応募したという人を見かけたし、ここまで叩かれて戸惑ったり傷ついている人もいた。
高輪ゲートウェイの「大木戸」や「玄関口」、「通信端末のゲートウェイ」など、ネーミングの由来がごちゃごちゃしててわかりにくいという意見もあるが、正直、そのごちゃごちゃした感じにこそ、むしろ広告代理店などでは思いつかない人間臭さを僕は感じる。
公募に応募する時、ネーミングの由来を記入する欄があったのだが、36人それぞれの由来を組み合わせてまとめたものだからこそのわかりにくさだったのではないか。
◆路線図や駅名票のデザイン問題
たしかに僕自身、はじめて「高輪ゲートウェイ」の記者会見を見た時、「長いな」とか「路線図にどうやって入れるんだろう?」などの疑問は抱いた。
しかし、反対派のようにそれが怒りに転じることはなかった。
むしろ、こんな難問、どうやって解決するんだろう? という興味を抱いた。
デザイナー泣かせの駅名だという意見もあったが、デザイナー全員が路線図をデザインさせられるわけでもないし、路線図を変更するのにシールでは無理だから莫大な経費が掛かる。だから今からでも遅くないから駅名を撤回しろという意見も見た。
しかし、JR東日本は行政機関ではなく一民間企業である。
路線図の改訂に我々の血税が投入されるわけでもなく、むしろ莫大な予算が必要なのであればJR東日本の自業自得であって、怒りの矛先を向けたり、駅名撤回の理由として挙げるにはどうも的外れな気がしてならない。
◆商標登録の問題
https://www.jreast.co.jp/press/2018/20180604.pdf
これは駅名募集時の記述だが、僕がもっとも注目しているのはこれだったりする。
「高輪」や「芝浦」など、単なる地名では一般名詞として商標登録することができない。
街と駅を連携させたプロジェクトなので、初期の段階から商標登録を前提にしていたのだろう。
実際に現在、商標登録を申請中らしいので、そうなると「高輪ゲートウェイ」という名称を使用する際の条件などはどうなるのか?
すでに高輪ゲートウェイを名乗るホテルも実在するし、近隣のマンションの名前に使用されることもあるだろう。
京急の泉岳寺駅が作られた時、泉岳寺が訴訟を起こしたのも、駅名に使用されると近隣のマンションに泉岳寺の名前が使われてしまう。そうなれば泉岳寺が利益のために経営していると誤解されるのではないかという心配からだった。
舞浜駅が東京ディズニーランド駅にならなかったのも同様で、駅前にパチンコ店ができたら「東京ディズニーランド駅前店」という名前を使用されてしまうかも知れないという恐れからだった。
利益を囲い込むために商標登録する場合もあるが、駅名が悪用された時に法的に対処するために取るという意味合いもあるだろう。
僕も高輪ゲートウェイ太郎をキャラに名乗らせているので、ぜひともそのあたり、大目にみてもらいたいという気持ちは強い。
◆新駅は必要か?
むしろ庶民感覚からしたら、駅名の是非よりこっちの方が炎上しかねないのではないかと危惧していた。
僕自身は新駅賛成派だが、新駅ができることでサラリーマンなどは通勤時間が数分、延びてしまう人も多いだろう。乗り換えの時など、その数分がけっこう大きく響いたりもする。
また、不要になった車両センターの土地が余ったから新駅を中心とした街を開発するのであって、新駅開業の目的は近隣の順民の交通の便を良くするためとか、そういったものではない。
むしろ駅ナカが充実することによって駅周辺が廃れるなんて話もずいぶん前から危惧されてきたことだ。
あくまでも僕は賛成派なので、高輪ゲートウェイ否定派の皆さんには知られたくないが、批判するなら駅名よりこっちなんじゃないかという気はする。
ただ、新駅開業の情報はもう5年以上前からずっと報道され続けてきたのだから、今さら反対されても… とは思う。
◆ゲームのルールを変えて得するのは誰か?
高輪ゲートウェイ否定派は撤回して「高輪にしろ」とか「芝浜にしろ」などと声高に訴えるが、公募を人気投票と勘違いして「公募した意味がない」と言っていた人間が、投票だの票数だのルールだのを無視して、自分の意見をゴリ押ししようとするのはどうなんだろう?
仮にこれが人気投票だったとしても1位の高輪ですら全投票の1割ていど。それを民意と呼べるのか?
しかも、高輪はもともと地元商店街の人たちが希望していた名称で、事前に署名活動まで行っている。それこそ、みんなが『ゆるキャラグランプリ』の時に批難した組織票なのでは…。
いや、べつに商店街の人たちを批難しているのではなく、公募の選考方法が不透明だと主張するのであれば、批難する側こそ騒動に乗じて自分の願望をゴリ押しで実現させるような真似はすべきではないのではないだろうか。
あと、芝浜って言っとけばセンスありそうに見えるという風潮もいかがなものかと思う。実在する芝浜はぜんぜん別の場所だし、歴史的背景をきちんと検証するなら、そもそも高輪ゲートウェイの住所は高輪ではなく港南だし、埋立地だから元は海でしかない。
こうして重箱の隅をつつくように否定派の意見にツッコミをいれても切りがないので、とりあえず高輪ゲートウェイに対して怒りが収まらないという方は毎年コミケシーズンに大崎で『大崎コミックシェルター』という便乗イベントをやっているので来てください。
パルスブックウォーカー
紙の本には、電子書籍にはない手触りがある。
装丁やデザインも含めて温もりがあるなどともいう。
そりゃあるだろう。
人それぞれの好みもあるし、否定はしない。
だが、僕にとっては電子書籍こそ小宇宙であり、そこにはロマンが広がっている。
何より画面が発光するのがいい。
美しいし、暗闇でも読める。
紙の本ではそうはいかないし、孤独な夜にスマホの画面を見ていると、そこにはたしかな温度がある。
紙の本には図書館や土蔵のような薄暗いところがお似合いだが、その実、読もうとすれば太陽光を必要とする。
なんと健全で味気ない。
まっとうな趣味嗜好のようでうんざりさせられる。
苦もなく何百冊もの本を持ち出せるのもいい。
この世のすべての本が電子書籍だったらいいのに。
すべての本を街に持ち出したい。
今なら合成音声による読み上げ機能もあるから、寺山修司が夢見たように、走りながらだって読書ができる。
こんなステキなことはない。
活字の宇宙を無限に持ち出し、なにか着想をえれば、それがそのまま筆記用具にもなる。
Googleドキュメントでメモしておけば、パソコンとの共有もたやすいから、せっかく書いたメモ用紙をなくしてアイディアがムダになるなんてこともない。
まあ、残念なのは仕事で使うような資料や希少本の類は電子化されていないことが多いし、まだまだ一般的でないから、紙の本を買っては裁断してドキュメントスキャナで自炊せざるを得ない。
なんだかそれがムダの多い作業で切なくなる。
本棚のすみずみまで、どんなくだらない雑誌の類もすべて電子化してスッキリしたいのに、それには時間が足りない。
そういうサービスもあるけれど、それはそれで、そこまでするほどじゃ…というためらいもある。
CDも初回特典のDVDも、最初からすべて電子化しておいて欲しいと思う。
本当にもう、クラウドでいい。
むしろCDよりデジタル音源にこそPDFなブックレットとかオマケをつけて欲しい。
紙の本やCDに情緒があるなんて嘘っぱちだ。
あるいは、たんなる嗜好の差異でしかないのなら、同じかそれ以上にデジタルだって趣き深い。
デジタルにだって精霊は宿る。
そう思うと、何十年も前に書かれたデジタルデビルストーリーってすごかったなと思う。
荒俣宏の帝都物語にも、似たような話、あったな…(´・ω・`)
煩悩を打ち消す密教式ライフハック
≫ さあ、始めようぜ
≫ 今まで絶対できなかったことをしよう
≫ できないことができるって最高だ
これは、最近のプレイステーションのCM。
たしかにゲームの中なら、理想の女の子と結ばれたり、異世界を冒険したり、たいていの願望はかなう。
殺人などの背徳的な罪すら疑似体験できる。
さらにVRとTENGAさえあれば、煩悩はほとんど解消される。
技術力を駆使すればもはや、この世に未練はなくなる。
煩悩を打ち消すことを「解脱」と呼ぶなら、痩せ我慢して耐えるより、むしろ満たしてしまうという手法もあるワケで、それがつまり愛染明王が女性を抱いていたり、邪教とされる立川流のような密教的な解脱に違いない。
オウム真理教の「ポア」は、煩悩に苦しむくらいなら、いっそ殺して楽にしてやろうという超理論だったが、もともと仏教がなぜ解脱を志向したのかといえば、あらゆる欲望が社会生活の妨げになるからだ。
ならば、殺すにしろ自殺するにしろ、社会に悪影響を及ぼす行為は本末転倒。
いっそ社会に悪影響を与えないカタチで欲求を満たして、現実世界では安らかに暮らせばいい。
仮想現実の世界で楽しく暮らすため、現実世界で出稼ぎしてるくらいのゆとりがあれば、意外とこの世の由無し事は諦めがつく。
チベット密教の世界では夢の世界こそ現実で、現実こそ夢に過ぎないのだという。
まるで江戸川乱歩の「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」みたいだ。
現実の快楽を諦め、稼ぐための労働に勤しむことこそ、現代的な解脱への第一歩かも知れない。
それって、すでに多くのオタクが実践してる方法か……。
今年もありがとうございます
自分は基本的に怠惰で内向的なダメ人間なので、
才能と言うようなものは一切ないのだけれど、
「奇人変人と巡り会う才能」には恵まれているのではないかと思っている。
昔は街で変な人を見かける程度だったのが、
最近は「ご当地キャラ」がブームらしいので、
儲かるんじゃないかと勘違いした人たちが向こうから近寄ってくるようになった。
きちんと『ゆるキャラ論』読んでもらえたら、洗いざらい書いてあるので、
そんな勘違いはするはずないのになあと思いつつ、
世の中には活字があまり好きじゃない人、
そんな時間も余裕もない人たちがたくさんいるのもよくわかっている。
一方的に自分が被害者だなんてお高くとまるつもりはないが、
それにしても、ここ2年ほど、
世の中には訴えられたり捕まったりしない程度の悪人とか、
困った感じの人ってたくさんいるんだなあというのを実感している。
基本的には「ご当地キャラ」をやろうなんて人間はバカがつくほどお人よしで、
こっちが申し訳なるくらいに善良な人たちばかりを見てきてしまったので、
いわゆるふなっしーブーム以降に現れた人たちの何もかにもに惑わされてしまった。
実際にはブーム以前からの知り合いもいて、
自分が鈍感すぎてその本性に気づかなかっただけって人もいたけれど…
で、周囲の人たちにえらく叱られながら学んだのは、
下心のある人というのは善良なふりをして近づいて、驚くほど清々しく嘘をつくということ。
本人に嘘の自覚がないのかもしれないけど、なんか「断言」しがちな人というのは、
わりとあとからボロが出がちだなあというのを感じる。
ボクなんかはこの世の中に絶対なんてことがあるはずないし、
100%自分が正しいなんてことはありえないんじゃないかと思っているから、
なるべく断言とかせずに、なんか「自分なりに頑張ります」とか、そういう言葉でごまかして、
結果的に視線がうわついて挙動不審になりがちなのだけれど、
世の中にはハキハキと、目を爛々と輝かせながら嘘をついたり人を貶めたり、
いろいろする人たちがいるんだなと…。
考えてみれば、ボクが今まで出会った善良な人たちというのは不器用で挙動不審で、
仲良くなるのにそれなりに時間を要した人たちばかりだった。
去年はとくに、
主観的にはちょっと迷惑、
客観的にはものすごく面白い人たちが、
現れては消えていったり、
こちらからちょっと距離を置かせてもらったりした。
残念なのは、そういう人たちを面白がりながら晒せないこと。
昔だったら嬉々としてはてなダイアリーに書きまくっていたことが、
いろいろ立場上、守らないといけないものが出来たりなんだかんだで、
すべてできなくなってしまった。
唐突だけれど、中学生の頃にハマった『幻獣少年キマイラ』という夢枕獏の小説あって、
最近、角川文庫からラノベ風の装丁でもう一度出はじめてるんだけど、
久々に読むと、登場人物の誰に感情移入できるかというと
仙人みたいな老人、真壁雲斎だったりする。
たぶん、年齢的なものもあるだろう。
で、悪役ではないけど失うものが何もなくて汚い手を使って相手を倒そうとする
菊池良二という人物がいて、実は昔はそんな彼がわりと嫌いじゃなくて、むしろ好きだったのだけれど、
今の自分の境遇を考えると、いつの間にか自分は菊池の立場じゃなくなっていたんだと気づいて愕然とする。
むしろ、相手は本気でこちらを殺しにかかってくるのに、それを防御しながら、
同時に相手を殺さず、傷つけず、永遠に自分の大切なものを守り続けなければならないという、
劇中で雲斎や九十九にのしかかってくるテーマが、自分の立場に重なって、
思わずその答えを作中に見出そうとしてしまう。(もちろん、答えなんて出るはずがないんだけれど)
暴露したり相手を責めたりすれば一時的に自分は爽快感を得られるかも知れないけれど、
結果的に事態は解決もせず、むしろ悪い方向に向かってしまう可能性があるなんてことも
世の中にはたくさんあるんだなと、つくづく思い知った。
しかし、なんかこう、モヤモヤしたものを抱えながらも、
もはやドMとしてそれすら楽しんでしまうしかないんだなという悟りの境地みたいなものもある。
思えば、夢枕獏にハマっていた中高生だった頃、意味もなく出家したり苦行をしてみたいと思っていた。
将来の夢は坊さんになって山篭りすることだったけれど、
出家なんかしなくても苦行は可能で、むしろ浮世の苦界で悶々とする方がよっぽど苦行かもしれない。
そう思うと、まだ若くて幼かった頃の自分の夢は、今かなっているような気がしないでもない。
今年も、ネタにできないくらい面白い人たちに出会えそうな気がして、今からワクワクしている。
「まんべくん失墜の謎に迫る!」
◆メガヒットの成功心理 第4回「まんべくん失墜の謎に迫る! <前編>」
http://t.co/Dwxg61F
◆メガヒットの成功心理 第5回「まんべくん失墜の謎に迫る! <後編>」
http://blog.garyuproject.com/20110819/4116.html
こちらの方はだいぶ更新が滞ってますが、
我流プロジェクトで連載している記事に
大きな反響をいただきました。
後編、ほぼできてますが、
基本的には水曜更新なので、
来週か、あるいは状況を見極めて
もしかすると早めにアップされることもあるかも知れません。
後編もアップされました!
http://blog.garyuproject.com/20110819/4116.html
あくまでも私見であり、
考察に過ぎないので
全部が事実というわけではありません。
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起業家を対象にしたサイトという事もあり、
儲かる儲からないといったお金の話をしていますが、
「ご当地キャラ=キャラクタービジネス」では決してありません。
運営団体やキャラクターによって
当然のことながら「目的」は違うし、
「成功の基準」も違ってきます。
「儲からないのになんでやるの?」
という疑問に対しては、
キャラクターを作る目的はおおまかに2つあると思っていて、
◆「外」に対するアピール
地域外の人に知ってもらって観光に来てもらったりお土産を買ってもらう。
◆「内」に対するアピール
地元の人にもっと地元のことを好きになってもらう。
みんなで目的や理想を共有するための旗印としてのマスコット。
このふたつ。
いずれにせよ、儲けが最終目的ではなく、
地域全体が活性化することで
そこに住んでいる人が住みやすくなるようにというのが目的です。
そのための手段のひとつに「儲け」もあるという感じ。
だから儲からないまでも費用対効果として
かけたコストの割にアピール力があると判断されれば、
そのマスコットには存在意義が保障されるわけです。
まんべくんは完全に外向きに特化していたけど、
内向きのアピールはお金以外の「時間・労力」さえあれば
ほぼ100%効果が出ます。
行政がやってる大多数のキャラもおそらくこっちがメインなので、
あまり儲けに対して頓着がないのではないでしょうか。
あと一番大事なのは、
住民の意識が変わったとか、
町のイメージが変わったとか、
住みたいと言ってもらえるようになったとか、
お金に換算できない価値もあるので、
何を重視するかはやはり運営側次第です。
さらに、利益をあげるにはそれなりの
「コスト・努力・ノウハウ」が必要だけど、
これにプラスして時の運で大化けする可能性がゼロではない。
ある意味、買っときゃいつかは当たるかもしれない「宝くじ」
みたいな感覚でやってるところも少なくないはず。
ただ、たしかに乱造はどうかと思います。
作っておしまいみたいなキャラは、
結局コンサルや各種の制作会社が儲かるだけですから。
もちろん、ご当地キャラ業界が死屍累々の山といっても、
成功事例だってたくさんあります。
個人的には「ひあゆ丸」や「やなな」はすごく理想的な形で
ビジネスと地域性の両立を果たしてると思います。
あとは、やっぱりチーバくんのように後追いでも
巨大プロジェクトなら大きく育つ。
芸能人と一緒で、キャラクタービジネスは
投資額デカさがリターンに直接結びつきやすいので。
記事を読んで「全然違うよ!」と思う方も大勢いるでしょう。
間違っている部分があれば教えてください。
何かご意見があればぜひ、
メールでもコメントでも受け付けます。
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◆過去の記事は、こちらにまとめてあります
http://mt-dog.jugem.jp/?eid=238